日韓併合の事実 徴用工と原爆
元徴用工被爆者認定 長崎市は控訴断念を 原告支援団体が要望
| 2019/1/10 - 長崎新聞
https://this.kiji.is/455751964166489185?c=174761113988793844
長崎新聞の記事である。
「元徴用工被爆者」という言い方が新聞社らしく、いやらしい。
この記事には2つの論点がある。
一つは朝鮮人徴用工の話と、被爆者認定の話である。
徴用工の話からすると、大東亜戦争中に三菱重工業長崎造船所(長崎市)で働いていた朝鮮人労働者が徴用工と呼ばれていた事が一つ。
被爆者認定とは、被爆者と認定されると原爆症の治療の費用を全額国から負担してもらえる制度である。
被爆者認定
現在被爆者手帳を持っている人は全国で約155,000人いる。
長崎市だけでは29,064人である。しかし被爆者は42,970人(厚労省の発表)である。
という事は被爆者がすべて被爆者手帳をもらっているというわけではないのだ。ここに問題が存在する。
今回の事案は、3人の韓国人が長崎市の三菱重工業長崎造船所で被爆したと訴え、2015から16年に手帳交付を申請した。
が、被爆を裏付ける証人や記録がないなどとして市の方から却下された。市側は「供述は信用性に欠け、裏付ける証拠もない」などと反論していた。
これは虚偽の申請が現実にあり「偽りの被爆者」が存在するからだ。
例えば
1987年11月5日。新聞各紙にこんな見出しの記事が載った。
「被爆者と偽る 不正に手当受給 老人を書類送検」「ニセ被爆者百六十万円詐取」
https://www.nagasaki-np.co.jp/peace_article/2467/
まあ、こういう場合もあるので、何かの証拠を市は申告する人に要求していた。
ところが今回の地裁の判決は、証言だけで被爆者であることが認められたという事である。
さてこの判決はどうだろうか。
相手が朝鮮人で徴用工だということが、地裁の判断を方向づけたのかどうかが問題になってくる。
2013~17年度の5年間に全国で2451件の申請のうち交付は41%(995件)である。長崎市では同期間の交付割合は19%という狭き門である。
裁判所の公平な判断を求めたいと思う。
徴用工
次は徴用工である。
徴用という法律は昭和14年に出来ている。
日本では、1939年(昭和14年)に国民徴用令が制定され、第二次世界大戦の終結まで行われた。ウィキペディア
これは戦争の長期化・総力戦化を考え、軍需産業に対しての労働力確保を図るもので、戦争が終わるまで616万人が徴用されている。
賃金が安い事と、強制的に職場を変えられるので当然日本人からも疎まれていたのである。
赤紙は「召集令状」 白紙が「徴用令状」と呼ばれていた。そして拒否すると一年以下の懲役または千円以下の罰金(当時の貨幣価値)になる。
しかし祖国日本の為にと、日本国民は黙々と働いていた。
徴兵制
戦争の為の徴兵制があるのは、日本だけではない。現在でも徴兵制がある国は、2015年時点で、国際連合加盟193か国のうち、軍隊を保有する169か国中、徴兵制を採用している国家は、64か国だ。
お隣の韓国、北朝鮮は徴兵制、中国は志願・徴兵並立制である。
日本の場合、鎌倉幕府以降、武士という職業軍人が存在し、江戸幕府が崩壊して身分制度が廃止されるまで続いていた。
つまり日本国内の戦闘は武士たちだけで行われ、一般人は戦闘に加わっていなかったという、世界でも珍しい形態を持っていたのだ。
それが明治政府になり徴用制が施行されると、農民からも元武士たちからも不満が噴出していたのである。
戦闘や戦争のない世界が理想的なのだが、人間には実現不可能な事のように思える。
戦争時、当然朝鮮人だけが徴用されたわけでもなく、日本人の多くが働いていた。
被爆直前の時点で、大橋・茂里町の両工場、および各疎開工場では職員や、工員として徴用工や動員学徒、女子挺身隊員ら17,792名(実働約10,000人)が在籍していたが、登原剛蔵所長を含む2,273名が死亡、5,679名が重軽傷を負った。ウィキペディア
その時代朝鮮半島は日韓併合で日本が統治していた。
なぜ多くの朝鮮人が日本にいるのかだが、無理やり連れてきていなかったのは明白である。
日本で働くほうが賃金が高いので、みんな我を争って日本に来たのだ。
今回は被爆者認定問題より、韓国が煽るいわゆる徴用工問題を書きたいと思う。
韓国併合
韓国が徴用工問題として騒いでいるのだが、問題の原点は日韓併合が正当だったかという点である。
今回の韓国の最高裁判所の判決文は長いので要点だけをまとめてみる。
日本の日韓併合(植民地支配)は不当であり、日本は強制労働の被害者の法的賠償を否定している。
日本国による補償はなされているが、個人の請求権は残り、それは協定外にあるので、新日鉄住金は慰謝料を払いなさい。
まあこんな所か。
ツッコミどころ満載なのだが、ずーっと言われている日韓併合の違法性がここでも言われている。
確かに、他の国を日本が支配するという事がいい事だとは思えない。
「他の国がやっているのだから、日本もやったんだ」というのは、説得力がないのだ。
この論理を言うのが小学生までなら、黙って聞くことにしたい。
しかし中学生以上なら、もっとちゃんと語れるべきである。
まあ、日本の学校の先生が教えないのだから、しょうがないんだが、ちゃんと教えることをしない先生集団のほうがタチが悪いか。
この時期はアジアに西洋列国が集まってきている。
みんな虎視眈々とアジア諸国を狙っているハイエナみたいな輩である。その中でも、ロシアは強く一番やばい存在だった。
そんな中、アジアの中で孤軍奮闘していた国があった。それが日本である。
日本で言えば戦国時代と同じである。
例えば織田信長に、現在の価値観で「信長さん、人を殺したり、人の国を攻めてぶんどってはいけませんよ」と言えるだろうか。
時代が違えば価値観が違うのである。
そこの所は中学生以上なら理解できるはずである。理解した上で、日本を批判するのはいいと思う。
日本には言論の自由があるからだ。
ただ、知らないのが一番タチが悪いのだ。
現在のマスコミや教育関係者たちは、日韓併合イコール「日本の植民地政策で侵略、そして悪の所業」という短絡的な表現が目立ち、韓国併合の経緯をちゃんと語っていない事が多い。
歴史の勉強は必要なのだ。
なので簡単にまとめてみる。
日韓併合への道
1910年(明治43年)8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合して支配下に置いた事実を指す。
なぜ日本が日韓併合の道をたどったかは、世界情勢から読み解くことが出来る。
まず、その時代は朝鮮半島には韓国という国はなく、北と南を含めた鮮半島一帯にあった大韓帝国との話だということである。
大韓帝国の前は李氏朝鮮(りしちょうせん)という国で明や清の属国であった。
それ以前には高麗という国で明と対立していた。
高麗→李氏朝鮮→大韓帝国→日韓併合→韓国 という流れである。
ところが、高麗の臣下である李成桂が、主君を裏切り、明の力を借りて王となった。おまけに朝鮮という名前も明の皇帝に選んでもらったというしっぽの振り様である。
その結果できた李氏朝鮮は腐敗した国家だった。
そして500年も続いたおかげで、文化も停滞し朝鮮国民も貧困のどん底状態になっていた。
この事は、あらゆる歴史家が李氏朝鮮の事を褒めないという事実が物語っている。
開国後の李氏朝鮮を複数回にわたって訪れたイザベラ・バードは、糞尿を道端ですることがごく当たり前だった漢陽(現在のソウル)を「世界でも指折りの不衛生な都市」と評した。
また日本でも見られている韓流ドラマだが、歴史を題材にしたものは、すべてが誇大妄想のフィクションである。
日本の考え
そこで日本が登場してくる。
日清戦争で勝った日本は、李氏朝鮮を清国から引き離し、独立国として大韓帝国の立ち上げに協力したのだった。
日本の目的はロシアの南下政策の防波堤として、大韓帝国を使いたかったのである。
そのまま大韓帝国が自立してくれればよかったのだが、いかんせん何百年も中国の属国として生きてきた朝鮮人には自立という事ができなかった。
朝鮮半島がしっかりしていれば、ロシアの南下に歯止めがかかる。
そうなんだが、李氏朝鮮の内情は不安定で、へたをすればロシアと仲良くなる可能性がある。
さて日本は悩む。
朝鮮半島に関わるべきか、関わらざるべきか。まさにハムレットだ。
この問題でいちばん有名なのは、あの伊藤博文である。
日本軍部は国際協調重視(併合賛成)で、伊藤博文は併合反対であった。
1904年日露戦争が勃発し、日本がロシアに勝ってしまう。
この日露戦争には色んな話が多い。坂の上の雲という司馬遼太郎氏の本でも有名だし、乃木大将は歌にもなっている。
大韓帝国だが、暴動の鎮圧を清国に頼んだり、大韓帝国の高宗はロシア公使館に逃げ込んだりと、相変わらず異常事態が続いていく。
ついに英米政府およびロシア政府から朝鮮半島に関する支配権を承認された日本は保護条約を大韓帝国と締結する。
ここが大事である。
桂(日本)・タフト(アメリカ)協定
タフト協定とは、日露戦争中の1905年(明治38年)7月29日に日本の内閣総理大臣兼臨時外務大臣であった桂太郎と、フィリピン訪問の途中に来日したアメリカ合衆国特使であったウィリアム・タフト陸軍長官との間で交わされた協定。タフトは後に第27代アメリカ合衆国大統領に就任した。
■大日本帝国は、アメリカ合衆国の植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。
■極東の平和は、大日本帝国、アメリカ合衆国、イギリス連合王国の3国による事実上の同盟によって守られるべきである。
■アメリカ合衆国は、大日本帝国の韓国における指導的地位を認める。
ずいぶん勝手な話だと思うが、この協定が当時のアジアの実情である。
大韓帝国の政情不安定は異常で、ほっとけばロシアや清国と勝手に同盟を結んだりしてしまうだろうと、日本やアメリカ、イギリスは考えたのだ。
さらに日露戦争後ロシアも追従し、英米露が大韓帝国に対する大日本帝国の支配権を認めたという事になった。
韓国から望まれた日韓併合
そして大韓帝国側からの提案である一進会の上奏声明等を経て韓国併合の話が持ち上がる。一進会とは会員100万人を誇る大韓帝国最大政党である。
つまり話は大韓帝国から言い出してきたのだ。
慎重な日本政府は併合の正当性について列国に打診している。
アメリカとイギリスは、このまま韓国を放置することは地域に混乱与えると考え、韓国併合に賛成した。
その他、清国、ロシア、イタリア、フランス、ドイツといった当時の主要国からの反対も全くなかった。
各国の賛成を得て、また一進会も併合を望み、日本は韓国併合に乗り出した。
1905年(明治38年)11月、第二次日韓協約を大韓帝国と締結するという流れになった。
当の大韓帝国の皇帝の高宗は「条約締結は強制であり無効である」と抗議をするのだが、その一方で日韓保護条約に賛成している。
大韓帝国の学部大臣だった李完用も閣議で「わが国の外交は変幻きわまりなく」と発言して日本との協約締結を肯定している。
また日韓併合に反対だった伊藤博文は、1909年ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人安重根に暗殺されてしまう。
死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だったことを知らされ、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたと言われている。
結局よくわからない国なのである。
ついでに日本が朝鮮半島で行なった事は、戸籍制度を朝鮮に導入し、あまりにも差のあった身分制度を廃止させ、土地の測量および登記制度の導入により、不動産の売買が法的に安定させる。教育文化政策により小学校も統合直前には100校程度だったのが、1943年(昭和18年)には4271校にまで増加した。更に朝鮮人の識字率は6%しかないので、ハングル文字を教育し識字率を高めていく。
以上のように膨大な金額を投じで、朝鮮半島の健全化に必死になっている。
これが日韓併合の事実である。
併合された朝鮮人の中には不満分子がいるのは当然である。なので全て日本が正しいとは思っていない。
多数決で日韓併合が決まったので、反対の人間も多く存在している。
これはしょうがない事である。
ただ、その当時の世界情勢の中では、アジアに関わる西洋国やロシアからも合法とみなされている事実があることも忘れてはいけない。
日韓併合に違法性があったのか
韓国併合再検討国際会議というのがあった。
2001年の1月、4月、11月に開催された、韓国併合(日韓併合)の合法性・違法性を巡る議論を扱った一連の国際学術会議である。
大韓民国(韓国)側の強いイニシアティブにより、韓国側の主張する違法論を国際的に認めさせようという政治的意図の下に主導・開催されたものであった
三回目の締めくくりでは、日韓米のほか、英独の学者も加え結論を出す総合学術会議が行われている。
大日本帝国が大韓帝国を保護国にした日韓保護条約(第二次日韓協約)について高宗皇帝は条約に賛成しており、批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介し、注目された。
結局日韓併合を違法であるとする国際的なコンセンサスは得られなかった。
人権的立場
もちろん、どんなに世界が賛同しなくても、人権的立場で言えば、支配をする側と支配される側があるというのは間違いだと言える。
それにより、日本が正当性を勝ち取ったとしても道義的責任はある。
そもそも戦争自体が悪であるならば、戦争を起こした国はすべて道義的責任があるのである。
なので戦後の国同士の協定でそれに対しての保証が話し合われているのだ。
日韓請求権協定
いわゆる朝鮮人徴用工問題だが、国同士の協定(1965年日韓請求権協定)で、日韓併合に対しての賠償をすでに終えている。
なので、韓国側で起こっているのは韓国の国内問題なのである。
この事は、様々なメディアで周知の事と思う。
しかし、日本国内には親韓派の人たちも多く、感情的に日本の謝罪をしつこく要求してくる日本人がいる。
中には政治に疎い人も多く、学校の先生が日本が悪いというので、悪いと思っているという人達も多いだろう。
それらの意見は意見なので、どう考えようといいと思う。
ただ、歴史の事実(真実ではない)をまず知識として知っておくことが大切なのだ。
その上で、自分で考えなければならないのだ。
地獄島の映画
去年、韓国が作った映画に地獄島の話があった。長崎の軍艦島の事である。
内容はやはり朝鮮人差別をベースにした反日映画である。
しかし、歴史を知ればこれが悪意に満ちたフィクションだという事がすぐわかる。
感情的になるより、事実を知ることが大切だという見本である。
長崎新聞の記事に「苦しがる仲間の徴用工」というタイトルで原爆投下時期の朝鮮人の記事がある。
https://www.nagasaki-np.co.jp/hibaku_note/2963/
文中には「日本の人々は戦時中の日本の軍国主義が原爆投下を招いたことを忘れてはならないと思う」という一文がある。
この表現はよく聞くのだが、日本のせいで原爆が落とされたというのは、事実ではない。
原爆はアメリカ軍が落としたのである。
それも戦争が終わりそうなのを感じて、実験として違うタイプの原爆を日本に落としたのだ。
なので原爆症の保証はアメリカがすべきなのが筋である。
しかし、戦争に負けた日本はサンフランシスコ平和条約において、日本がアメリカその他の連合国に対し、戦争中及び占領中に起きたことすべてについての請求権を放棄させられている。
なので日本が戦後のケアをしているのだ。
また、日本が敗戦を決めたのは、ソ連が8月9日日本に戦争を仕掛けたからである。原爆でビビって敗戦を決めたのではないのは、歴史的事実である。
この「原爆は日本が悪いから落とされた」的な発言は、政治家からもなされていておどろく。
1998年(平成10年)7月に、長崎市長の本島等が共同通信社の単独インタビューで「原爆は落とされるべきだった」「原爆が日本に対する報復としては仕方がなかった」と記した。
2007年(平成19年)に久間章生(元農林官僚)が「原爆投下は仕方が無かった」と発言する。
この事は長崎市民なら考えるべきである。
世界の歴史を知ることは、大変重要だと思う。
佐世保で起きた60年安保の時、回りは学生運動で、ヘルメットをかぶりゲバ棒を持ってデモに参加している人達がいた。
「安保反対ってなんですか」と聞いてみると、「内容は知らないよ」って返事をする学生がほとんどだったという。
良い教訓である。
やはり、知らないというのは罪に値するのだ。
引用ウィキペディア