身代わり天神と丸山遊郭
丸山で有名な花月という料亭の上手に、身代わり天神といわれる梅園神社がある。
そこに祀られているのは、菅原道真公で七力稲荷という稲荷神も同じ敷地にある。
神社の敷地には天神様とカップルになっている梅の木が多く植えられており、1月終わりくらいから花を咲かせ、小さいながらも名所になっている。
また、なかにし礼という作詞家、小説家が、丸山遊郭のことを書いた「長崎ぶらぶら節」という物語が直木賞を受賞し、この身代わり天神が話題となり、現在は長崎の観光地として市民権を得ている。
梅園神社が身代わり天神と呼ばれるようになったのは
元禄6年(1693年)、安田治右衛門が二重門(現 丸山交番附近)にて梅野五郎左衛門に襲われ、左脇腹を槍で刺された。しかしどこにも傷がなかった。
その代わりに自邸の祠の天神像が左脇腹から血を流していたという。この天神を身代り天神と呼ぶようになったのが当社そのものの創祀となる。
こんな由来からである。
外人(オランダ人・中国人)向けの遊女たち
さて、この天神様は、遊郭街の真ん中にある。という事で長崎の遊郭街の歴史を探求したい。
長崎の花街丸山(まるやま)は、江戸時代初期の集娼制度設立により、寛永19年(1642年)に市中の遊女屋が全て丸山の地に集められたのが始まりである。
この丸山は、外国人を対象とした遊女がいる日本初の遊郭である。
文禄二年(1593)頃、南蛮人を相手にした遊女商売をはじめようとおもった「恵比寿屋」という遊女屋が、長崎に店を出した。
その後、筑前博多の花街からも移転があり、遊女の数は増えたので、一箇所にまとめて大きな花街にしたのである。
丸山町遊女屋59軒、遊女335人内太夫69人、寄合町遊女屋44軒遊女431人内太夫58人と延宝版「長崎土産」という本に書かれている。
ここは江戸時代の三大花街(東京の吉原、京都の島原、長崎の丸山)といわれるほど有名だった。
丸山には、3つのグループに分けられていて、日本人用、中国人用、阿蘭陀用(オランダ人用)があった。
この中でオランダ人向けの遊女の代金は高かったのだが、それでも遊女は嫌がっているのでミソッカスの遊女が行かされていたという。
なぜ嫌がられていたかというと、金髪で毛むくじゃら、おまけに体臭はきつい。さらに言葉がわからないので「鬼」と呼ばれていたと言われている。
さらに、オランダ人のナニはデカく、小柄な遊女の秘所とはあまり相性が良くなかったとされている。これは戦後やってきた進駐軍相手の遊女も同じように答えているので、本当だろう。
現在は、国際結婚も多くなったが、それは日本人の体が大きくなったせいもあるのだろうと思う。
また、中国人相手の場合は賃金は安かったのだが、中国人とオランダ人を比べた場合、まだ中国人相手のほうが上だったという。
しかし、中国人は性病を持つものが多く、かなり警戒されていたと言われている。
ロシア海軍
江戸時代の終わり頃、外国から武力を背景とした開国を迫られた日本は、嘉永6年(1853)ロシア使節プチャーチンの上陸を許した。
長崎はロシア人たちを警戒して、港を隔てた漁村の稲佐を上陸地に指定した。
その後、稲佐は「稲佐ロシア人休息地」、通称「ロシアマタロス休憩所」となった。
ロシアの兵隊がいれば、遊郭が必要となる。
長崎には丸山遊郭があったのだが、丸山の遊女はロシア人相手を嫌がり、稲佐では急きょ遊女集めをしたのである。集められたのは島原などの貧困にあえぐ農村の若い女性だったという。
昭和33年まで続いた稲佐遊郭は、大正14年に、貸座敷は19軒、娼妓の数は154名もいた。
丸山は、オランダ人と中国人、稲佐はロシア人相手の遊郭だったのである。
中の茶屋
梅園神社の崖の上にあるのが中の茶屋である。
丸山の遊女屋筑後屋が、茶屋を設けていたところが中の茶屋と呼ばれ、また唐人は千歳窩(せんざいくわ)と名付けた。
「長崎ぶらぶら節」には、「遊びに行くなら花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて丸山ぶーらぶら 」と歌われるほど有名で、江戸時代中期に築かれた庭園として、数少ない遺跡の一つである。
しかしこの中の茶屋は、昭和46年(1971)火災で類焼したので、昭和51年(1976)に新築し復元され、茶室はその際付け加えられたものである。
中の茶屋は遊郭ではなく、茶屋や休憩所として使われていた。今でもその庭の和風な佇まいは、見ておいて損はないと思う。
そんな長崎の花街だが、昭和33年(1958)の売春防止法施行により遊廓としての丸山と稲佐は終焉した。
売春の是非
花街とは売春の街である。
日本では当然禁止されているのだが、この売春の定義が微妙である。
「売春」とは、「対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」をいう(2条)。とある。
しかし、『対償を受け、又は受ける約束』をして性交を行った場合であっても、それが『特定の相手である』ならば、売春とはならないのだ。
これは、愛人や恋人が含まれる。更に夫婦の関係も、対償を受け、又は受ける約束をして性交を行った場合に含まれるのだ。
確かに、恋人にはプレゼントを渡したり、奥さんには生活費を渡している。
結局、不特定の相手か特定の相手かという違いだけなのだ。
売春防止法というのがある。
売春防止法では、『勧誘』、『周旋』、『場所の提供』など、売春者をサポートするような行為について罰則が設けられている。
だが、売春者(女性)に対して、売春行為そのものを取り締まる罰則は設けられていない。
ただ、未成年の場合は別である。売春の負の部分は、こういった未成年や人身売買、暴力団の介入を防ぐ為に設けられている。
売春の是非を問う場合、この未成年者や負の部分をしっかりこうりょにいれないとい
さらに、売春防止法はあくまでも売春者を保護する法律であり、売春者に対して売春行為そのものを罰する法律ではない。
世界では、売春を認めている国と禁止している国がある。
中国、韓国、アメリカ(ネバダ州以外では違法)は違法、しかし韓国では、売春で生計を立てる女性らは「生活の糧を奪うな」と繰り返し訴えており、度々集団でデモを強行している。
オランダ、ドイツ、フランス、スイス(その他多数)では合法である。もちろん売春を合法としている国でも未成年は別である。
じつは、世界でも、こんなに意見が別れている現実がある。
さて、風情ある花街と無粋な売春禁止法。
人間の裏と表のせめぎ合いのような気がする。