愛宕神社「下宮」
小島から浜町への近道の昔の道の途中にあり、現在は大きなマンションの裏手に愛宕神社「下宮」がある。大きいマンションが建ったため、道からは見えず、この辺りの道に詳しくないので散々迷ってしまった。
愛宕山は当時険しかったので、山麓に拝む場所を作ったというわけだ。
明治維新前には上宮に愛宕大権現(火産霊神)を安置していましたが、維新後は、参拝者の便宜が図るため、麓の社にも愛宕神社を奉祀した
とある。
つまり下宮は明治維新後に出来た新しい神社なのである。
外宮の愛宕神社の前身は、1624年に作られた愛宕山大光院願成寺とある。願成寺は薬師如来を本尊としていたらしい。
明治維新後に神社ができたという事は、政府の方針である廃仏毀釈の為だろう。
愛宕五仏地蔵堂
明治維新による廃仏毀釈で仏具は清水寺などに移され、五仏は愛宕神社境内に移されました。残念ながら阿弥陀如来像だけが現存しません。五仏像の歴史を紹介した五佛像縁起之碑が昭和29年(1954)建立されています。
確かに、神社の上部分にお堂があるので、そこだろう。
町の歩みに、「1570年に深堀の軍勢が小島に押し寄せ長崎勢と交戦」とある。
1570年というと、長崎開港協定成立で、1571年ポルトガル船初めての入港、町建て始まる(6か町)という時代である。
その10年後に大村純忠が長崎6か町と茂木をイエズス会に寄進する。なので、この戦いは大村藩の家臣だった長崎氏を佐賀勢が攻めて、けん制しようとしたのではないかと推測する。
神社仏閣側とすれば激動と迫害の時代が始まった時期である。
神社の境内は広く、極端に曲がった大木が珍しい。
天神様を祀った稲荷社もあり、昔は大きく、人々に信仰されていたと推測される。
愛宕神社は火除けの神様である。
この地域の道は細いし、密集しているので、火事が出ると大変である。
ここをきれいにして、皆さんがお参りすれば、ご利益があるかもしれない。
ここもまた、整備されるといいのだがと思う。