福田、小浦の事代主神社
小浦から福田にかけての海岸線に、事代主神社が二つある。
神社というより、祠に近いのだが、荒れ果てることなく、ひっそりと祀られている。
海岸にある神社といえば、恵比寿様というのが相場だけど、ここでは事代主である。
事代主神(ことしろぬしのかみ)
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。
つまり、出雲の神様で大国主の子だ。
大国主は高天原出身ではなく、日本国に最初から住んでいる国津神の代表的な神様である。
「大きな袋を肩にかけ♪」という因幡の白兎の話は、有名な話である。
この大国主(おおくにぬし)がダイコクとも読めることから大黒天(大黒様)と習合していった。
大黒天の本来の像容は、一面二臂、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現されている。
日蓮宗の守り神である大黒天は、真っ黒でオリジナルに近い神様である。
それが、室町時代以降は大国主命(おおくにぬしのみこと)的な柔和な微笑を持つ、大黒様に変化していく。
さらに江戸時代になると、米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表されるようになった。
そして七福神の中に登場するようになった。
最初に書いた、恵比寿様だが、恵比寿様も七福神の一人である。
そして、大黒様と恵比寿様は一組で信仰されることが多くなった。
そのせいで、一緒くたになってしまった。
つまり、事代主は恵比寿様の子供みたいなものなので、祀ったという事だと推測する。
もう一つ、瀬戸内海の徳島県阿波市に事代主神社、徳島県勝浦郡に生夷神社(いくいじんじゃ)にも事代主を祀っている。
長崎には徳島の人が、漁業の為に多く移住してきている。
昭和20年代以降、以西底曳(そこびき)網漁業の為に、徳島県南部出身者が長崎、福岡、下関に住み着いている。
なので、福田地域に徳島出身の漁師がいて、地元徳島にある事代主を祀ったとも推測される。