大浜の稲荷神社

場所は福田の手前、大浜町である。
 
名前の漢字から、大きな砂浜があったのかと思ったが、本当は福田港の入り江だったので、大浦と呼ばれていたが、大浦町いう地名がすでにあるので、長崎市に編入された昭和33年の時点で、大浜町となずけられたという。
 
こんな経緯があるので、わからなくなるのだ。町名はなるべく変更しないで欲しいとと切に市政に望む。
 
という事で、大きな砂浜はなく、昔から海岸だった。この浦に流れているのは大浦川である。
 
この大浦川の河口付近に、この稲荷神社がある。
 

大浜の稲荷神社

目の前には、昔福田遊園地だった場所に建てられた、大きなマンション群がある。
 
稲荷神社の祭神は、食べ物の神様である、宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)である。
 
稲荷は江戸時代、商人の間で爆発的に広がり、江戸の町では、どこにでもあるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」なんていう言葉があるくらいだ。
 
この大浜の稲荷神社だが、海岸に建てられている。普通なら恵比寿様とか、小浦町のように、恵比寿様関連の事代主を祀ってもいいと思うのだが、意表をついて稲荷なのでやや驚く。
 
まあ、この地域は、昔から栄えているので商売中心の時期があったのかとも思う。
 

大浜の大浦川

稲荷はなぜ狐なのか

稲荷といえば狐様である。
 

若宮神社の狐像

本来は、倉稲魂命(うかのみたま)なのだが、日本全国に存在する三万社以上の稲荷社が狐像を備えている。
 
なぜ、稲荷が狐かというと単なる当て字が発端である。
 
稲荷神と習合した宇迦之御魂神(倉稲魂命)の別名に御饌津神(みけつのかみ)がある。
 
狐の古名は「けつ」である。
 
御饌津神(みけつのかみ)を「三狐神」と当て字した。
 
やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。という訳である。
 
もう一つの由来は
 
稲荷は農業の神様
 
狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること。
 
狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていること。
 
それから狐が稲荷神の使いに位置付けられたとも言われるとある。
 

狐憑き

狐といえば、狐憑きという現象がある。
 

狐憑き

キツネに憑かれた者は精神病のように異常な状態になるというやつである。
 
西洋にも悪魔の憑依というのがあるのだが、2011年9月、アメリカに留学中だった21歳の女性にも、この現象が起きた。
 
症状だが、何かに憑りつかれたような激しい手足の痙攣と唇を突き出す顔面の発作が起きた。
 
唇を突き出す顔面の発作から、悪魔の憑依、狐憑きと言われたのだが、医師の診断で少女は抗NMDA受容体抗体脳炎と判明。最終的には回復したという。
 

悪魔つき

 
映画『エクソシスト』の原作モデルになった少年の臨床像は抗NMDA受容体脳炎の症状そのものと指摘されている。
 
興奮、幻覚、妄想などいわゆる統合失調症様症状が急速に出現するのが特徴とされていて、日本の狐憑きも同じ病気だったのかもしれないと思う。
 

狐と油揚げ

油揚げのお供え https://intojapanwaraku.com/travel/21923/

昔話などではキツネの好物はネズミの油揚げとされており、殺生を禁じた仏教の影響もあってかわりに豆腐の油揚げを供えたものという。
 
違う言い伝えでは、神様に出す精進料理で油揚げを使うので、油揚げになったという話もある。
 
ネットでは「ネズミの油揚げ」の話が多いのだが、私は精進料理の方を信用したい。
 
豆腐そのものも、中国の食べ物だが、遣唐使、空海、鎌倉時代の帰化僧など様々ありはっきりしないが、唐ができたのが618年なので、それ以降であるのは間違いないだろう。
 
そもそも、油は貴重品で、奈良時代に実は、油で揚げるお菓子は唐や隋の文化として入ってきたのだが、普及はしなかった。
 
鎌倉時代に中国から豆腐が、室町時代には油で揚げる調理法が入ってきた。そののち、一般的に普及したのが江戸時代である。
 
冷蔵庫のない江戸の庶民なので、生ものは当然その日のうちに食べる。しかし油揚げは日持ちがする。
 
そして安い。蕎麦は16文の時、油揚げは5文程度である。
 
江戸時代に商人の間で流行した稲荷神社だが、お供えは、家に残っている、安い油揚げをお供えとしたと思うのだ。
 
稲荷神社の流行は、庶民の望みから出ている。
 
稲荷神を狐にしたのも、お供えを油揚げにしたのも、そして鳥居を寄進する習わしも、自然に出てきたと思う。
 
仏教や神道の小難しい習わしを取っ払って、わかりやすく単純な信仰を、生活の中に付け足したといってもいいだろう。
 
稲荷神社はそんな神社なのである。
 

狐がいない稲荷

話がかなり脱線したが、大浜の稲荷神社の拝殿を、ガラス越しに見たのだが、よく見る狐像がない。
 

大浜の稲荷神社

佐賀 祐徳稲荷の狐

神道の鏡が置いているだけである。
 
後ろを見ると、拝殿から続く神殿もある。
 
しかし神殿を見ると、神社らしくないし、なんか変なのである。
 
敷地内には灯篭や石碑もあり、多分に日露戦争当時の砲弾もある。
 

大浜の稲荷神社の敷地内の砲弾

砲弾などを記念碑とするのは、国粋の天照系の神様に多いのだ。なので、昔は稲荷神社だけではなかったのではないかと推測する。
 
稲荷神社はよく合祀されるので、わき役だった稲荷を本尊にしたのでないだろうか。
 
敷地内の雰囲気からすると、なんとなく寺だった雰囲気がある。
 

大浜の稲荷神社

大浜の稲荷神社

大浜の稲荷神社

大浜の稲荷神社 神殿は拝殿より高い位置にあるはずなのに・・・

福田の地は、武士の福田氏の所領だったが、キリシタンでにぎわった事もある。
 
また、明治時代の廃仏毀釈運動もある。
 
いろんな事が想像できるが、何せ記録がない。
 
すべてが推測のままである。