稲佐外人墓地の桜 残る桜も散る桜
コロナ蔓延で都市部はすごいというテレビ報道。
2週間程前、神奈川の川崎から長崎にやって来た甥っ子の大学生。卒業記念に友人と九州一周しているという。
「おじさん、東京はすごいよ」「そうか、お前も気をつけろよ」
そんな会話で、都会の様子がリアルに感じられた。
地方は過疎地域が増え、人がいない事を嘆いていたが、コロナに関して言えば、人が少ないほうが安全度が高い。
人生、万事塞翁が馬の例え通り。
週刊誌に、「いい年をして痩せてはいけない」という記事があり、興味があり読む。
「60代からはメタボがいい」「何を食べてもいい」「その我慢が死を呼び寄せる」「健康マニアはナンセンス」
まあ、週刊誌の記事なので、人に吹聴するほどのものではないが、不摂生の塊の私には、心地よい。
対岸の稲佐山裾野には特別な桜の名所はないが、あちこちに小さな固まりの桜は多い。
不謹慎だがクラスター桜とでも呼ぼうか。
そんな桜が芽を吹き、少しづつ咲き出している。散歩コースの稲佐外人墓地の石段回りの桜も、今年も咲き出し目を奪われた。
「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛さんの辞世の句がある。
60代の中盤になり、仲間が何人かすでに鬼籍に入っている。
そんな友をたまには思い出す。
そして、良寛さんの句も思い出す。
戦争当時、特攻隊の若い隊員が、この句を辞世の句として飛び立ったという話は胸に響く。
戦争は知らないが、20代の息子は二人いる。いい悪いではない。だから胸に響くのだ。
咲き始めた桜の石段を上る私も、散る桜である。
人は生き死にを選べない。選べるのは死ぬ時期だけである。
いつ散るのかな。
年を重ねると先の事ばかり憂う。まさに杞憂だ。
いつ満開になるのかな。そう思って過ごさなければ・・・。
墓場にさくら
お気に入りの場所である。