牧島 穴弁天 キリスト誕生と聖母と最後の晩餐
牧島に行くには、長崎市内から日見トンネルを抜け、矢神大橋を渡ると右手に牧島へ行く道があり、牧戸橋を渡る。車で約20分から30分ぐらいである。
牧島には曲崎古墳群という重要な古墳と、親戚がいるので何度か来ている。
今回の穴弁天は島の西部にある港にある。
地名は江戸期に佐賀藩諫早領の牧場があったからとある。戦時中に牧島震洋基地があったのも、多くの資料に書かれている。
震洋
震洋(しんよう)は大東亜戦争で日本海軍が開発・使用した小型特攻ボートだ。
つまりベニヤ板製の小型ボートで250キロの爆弾を積んで敵艦に突っ込む特攻兵器で「自殺ボート」と呼ばれていた。
大東亜戦争の是非はいろいろあるが、敗戦濃厚の日本海軍の特攻作戦は連合軍側にしてみれば狂気の沙汰だったに違いない。
特攻隊の方々の死は無駄死にのように言われるが、戦後の連合軍占領時に、アメリカ人に日本人の恐れを植え付けたのも事実である。そのおかげで日本人は西洋人の奴隷にならなかった事を感謝したい。
穴弁天
昭和48年の「長崎県郷土誌」に、「穴弁天は牧島の西端海岸にある海蝕洞である。洞窟入口の苔むした鳥居を潜って洞内に進めば一歩ごとに暗く、三四十メートルも進めば前後も弁ずることができなくなる。延長実に百メートル余に及んでいる。洞窟の尽きるところに子安明神が祀られている。弁財天と言われいわゆる生殖器である…」とある。
なるほど、海蝕洞(かいしょくどう)か。最近ブラタモリでよく聞く言葉である。
穴弁天の手前に簡単な社が立っていて、中には弁天様が祀られている。後付けの社だろう。
実際に洞窟に入ってみた。
入り口は二か所あり、どちらから行っても、腰をかがめて入らなければならない広さである。
奥へ行くと石段が作られていて、祭壇があった。
赤い涎掛けをしている仏像が並べられていているので地蔵様だと思われる。
ただそれ以外にも仁王や観音もあり、どこか不自然さもある。
中央に小さな木の鳥居があり、その奥に一体祀られている像があった。
近寄って覗き込むと、剣を持っている仁王像である。
子安明神を祀っているという解説だったので、多分赤子を抱いている仏様かと思っていたのでびっくりする。
うーん。
仏像をたくさん並べた様式はいろいろあるが、大分県耶馬渓の羅漢寺(らかんじ)の風景を思い出した。
この洞窟も、子供を亡くした方々が地蔵を祀るものなのだが、牧島の穴弁天は違うだろう。
こうなると推理するしかない。
辨財天(弁天)は、大本はインドの神様で水の女神で、手には楽器の琵琶を抱えている仏像が多い。
日本に伝わった弁天は、吉祥天や市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視され、「七福神」の一員として宝船に乗っている。
なので港に弁天を祀っている事自体不思議ではない。
長崎市内にも点在していて、稲佐の弁財天や淵神社も昔は弁天様を祀っていた。明治の神仏分離で、昔弁天様だったのが市杵嶋姫命になっている神社も多い。
「洞窟の尽きるところに子安明神が祀られている。弁財天と言われいわゆる生殖器である」という長崎県郷土誌の解説を信じるとすれば、昔は子安明神があったのかもしれない。
また、島の洞窟と弁天様をとり合わせて、女性の生殖器なので子安明神という話もありがちな説明である。
キリシタンの拝礼所
これ以外の説明を考えれば、一番最初に思いつくのが、隠れキリシタンの拝礼所だという事だ。
牧島に隠れキリシタンがいたという記録はないが、同じ東長崎の古賀にはキリシタンの歴史がある。
まず、東長崎地区は、戦国時代、島原の有馬氏の支配下に有り、島原藩主でキリシタン大名であった有馬晴信が治めていた。
これにより、各地でキリシタン信仰が盛んだった。当然、隣接する矢上、戸石も影響下にあったのだろう。
キリシタン弾圧の後、古賀村の隠れキリシタンは子安観音をマリアに見立てて信仰している。
牧島の穴弁天も古賀村の例にならい、子安明神を祀っていたのかもしれないと思う。
洞窟内
まず目を引くのが祭壇にびっしり並べられた仏像である。この仏像群は高さもそろっていて、左右対称に近い。
これは「最後の晩餐」の風景ではないだろうか。「最後の晩餐」はイエス・キリストが処刑される前夜、十二使徒と共に摂った夕食の風景である。
壁面を見ると、岩に穴が掘られ仏さまが祀っている。これもまた不自然だ。
これはルルドの泉の風景と同じである。
ルルドの聖母とはフランス・ルルドで起きた、14歳の少女を証人とする聖母の出現を指し、「聖母」が洞窟の岩の下の泉を教え、それが難病を治す奇跡の泉として伝えられた伝説を指す。
穴弁天の洞穴内の祭壇では、確かに時折水が天井から滴り落ちていた。その水滴でカメラが濡れないか心配したのを思い出す。
祭壇の前の岩下に、動物の像が置かれている。多分馬と牛だろう。馬は船の上に乗り、牛は荷車らしき上に安置されている。
その中央には餅が供えられ、灯明立てと線香立てがある。
馬は神社に多くたてられていて不思議ではないし、牛と言えば天満宮の使いなので、天神系には必ず安置されている。
しかし牛と馬の中央にはお供え餅が置かれていて、その餅を拝むような格好なのだ。
これもかなり違和感のある配置である。
しかし、隠れキリシタンの祈りの場だとすれば、一つ思いつくことがある。
キリスト誕生のシーンだ。
キリストは家畜小屋で生まれている。もしかしたらこの祭壇の餅は、赤子のキリストを模したものかもしれない。
最後の晩餐、ルルドの聖母、家畜小屋の誕生シーン。
これらは私の妄想だが、十分ありうると思う。
この場所で信者は寄り添い、子供達にキリストの奇跡を語ったのかもしれない。
そうすると穴弁天の名前である弁天は、やはり聖母マリアの拝礼所という暗号なのだ。
ただ、子安明神や弁天が聖母マリアという発想は幕府の役人たちにもすぐ察しされるものである。
だからいろんな加工をしたのだと思う。
祭神が剣を持った不動明王だったりしているのはその為かもしれない。
なるほど、なるほどと自分の勝手な妄想にうなずきながら、この場所を去った。