戸石神社 海中鳥居と海神族信仰
東長崎のかき道を過ぎたところに、戸石の港があり、その港の海岸に立派な鳥居が立っている。
昔、この辺りは干潟で、鳥居は海中にあったそうである。
海中鳥居は長崎では珍しく、対馬のわだつみ神社や、広島の厳島神社、佐賀県の大魚神社の海中鳥居を覚えている。
この海中鳥居のある神社の祭神は、古事記に出てくる、スサノウ、市杵島姫命を含む宗像三神、山彦などの神様で、みんな海に関係している。
この戸石神社も祭神は素戔嗚(スサノウ)である。
これは日本の古代より、海人族がこの地にいた証拠で、戸石神社の創建は大永3(1523)年となっているが、信仰は昔からあったと思われる。
戸石神社の伝説戸石神社の縁起の伝えるところによると、当時は珍竹藪で夜毎怪しげな光を発していたと言う。誰もが不気味に思い近づかなかったが、ある夜、漁師が多く漁に出ているとき、突然の暴風雨で全く視界が利かなかった。残された家族の心配をよそに漁船は皆無事に帰港した。船頭たちに聞くと口々に件の灯りが目印になって帰ってこれたという。その話を聞き、皆で藪を分け入ると木片と軽石が有ったので、軽石を礎石として木片で御神体を刻み祀ったのが、戸石神社の始まりと言う。
この話に似ている伝説が、近くの矢上神社にもある。
弘安4年(1282年)辛己年9月、当村平野区字平原と言う所へ夜毎に奇異の光あり。
矢上神社も祭神は素戔嗚尊なので、つながりがあると推測される。
長崎半島の野母崎にも怪しい光の話があるので、橘湾に面している長崎の町や村一帯に残っている伝説なのかもしれない。
また、牧島の曲崎古墳群や飯盛鬼塚古墳もあり、古代よりこの一帯は海神文化が栄えていた地域なのだろう。
社殿は立派な作りで、拝殿の天井には立派な天井絵がはめ込まれている。
それと屋根には、なんとしゃちほこが乗っている。神社の屋根にしゃちほこが乗っているのは初めて見た。
江戸時代はこの辺りは佐賀藩諫早領の所領で、この辺りは塩浜もあり、意外と重要な地域だったとも思える。
戸町くんちには、ささら浮立の出し物もあり、天領だった古賀地域や、宿場町で栄えた矢上と共に栄えていたようである。
名前の由来
戸石という名前の由来は諸説ある。
戸石村当時、村の西部山地塩田平一帯は全部第三紀層の砂岩からなり、砥石にすることが出来たため、戸石としたとする説。土産神の起源戸石海岸の竹藪中に霊光を放った一個の木片と軽石であったためにそれより木石村とし、後に転訛し戸石となったとする説。旧領主西郷石見守が不思議な神威のあるところを開き、地名を戸石村に改めたとする説。ウィキペディア
さて、どれだろうかと悩むが砥石説が妥当だろう。
戸石と矢上の伝説だが、海の神の存在を表す伝説なので、海神信仰の産物だと考えたほうがよさそうだ。
戸石の東部に池神社がある。
祭神の豊玉姫命は海の神の娘で浦島太郎の乙姫のモデルとも言われている。
この地域の町名は飯盛町池下名なので池神社と名付けられたのだろう。
池神社も結構立派な神社で、戸石神社によく作りが似ている。
今はひっそりとしているが、昔は戸石と共に栄えていたのかと思う。