伊王島 エビス神社
伊王島は2011年伊王島大橋が開通し、車で行けるようになっている。
今回始めて、橋をバイクで渡ったが高所恐怖症の私は震え上がってしまった。
きれいな橋なのだがかなり高い位置にかかっていて、見晴らしが良すぎるので、空中を走るような感覚に陥ってしまったのだ。
高所恐怖症の人はご注意を。
伊王島は思い出深い。
昔、マツハヤという会社が大金を投じて開発した、ルネッサンス伊王島関係で私は会社より依頼を受けてホームページを作っていた。
まあ、1990年年代の話。インターネットは今のような広がりはなく、私が作るHPも話題にすら上がらなかった。
その事で何度か船で来ていた伊王島だが、沖ノ島との間の海路に、恵比寿像があった。
海辺に恵比寿像が有るのはなんの不思議もないのだが、今回はそれを祀る神社を訪ねたのだ。
恵比寿神社
ネットを調べても、現場に行っても、その由来はどこにも書いていない。
鳥居は立派な明神系で、国津神系の様式である。
ちなみに、神明系は天津神を祭り、その形は伊勢神宮の鳥居のようにシンプルな作りである。
神額には「戎宮」と書かれていて、ご本尊の脇に捨てられている古い神額にも、「戎宮」とある。
戎は、当然エビスと読むのだが、「戎宮」という言い方に古さを感じる。
本来、戎は中国の五帝時代から戦国時代にかけて、中国の西および北に住んでいた遊牧民族の事をいう。
江戸時代に流行った七福神の中のエビスは、恵美須や恵比寿などと書いていて、戎とは書かない。
えびす信仰は古来よりあり、海神、漁業神、漂着神として信仰されていた。
その中で、伊王島が関係していると思われるのは、漂着神としてのグジラではないかと思う。
クジラは五島列島が有名で、長崎の大村湾内の東彼杵は伝統的にクジラに関係している。
当然、古代の長崎近海にもクジラはいたのだろう。
「鯨 寄れば 七浦潤す」「鯨 寄れば 七浦賑わう」という言葉も残っていて、大きなクジラが漂着したり、捕獲ができれば、その恩恵は多大なものだったと思う。
そんな歴史がありそうである。
伊王島の名前の起こりの一説に、長崎弁で魚のことを「いを」と呼んでいて、その「いを」がたくさん捕れる島だから、いおう島とよんだというのが有る。
この「戎宮」と書かれた神額の事を考えれば、正解のようだと思う。
海岸にも赤い鳥居があり、その神額には「龍宮」とある。
龍宮伝説は日本中に有るが、対馬には海神神社や和多都美神社など海神系の神々を祀る古社が多く、古くから龍宮伝説が残っている。
その影響かとも思われる。
伊王島に行く道筋に深堀という場所があり、そこにも恵比寿を祀る祠があり、その祠には龍宮と書かれている。
とすれば、この地域はエビスと龍宮はセットになっており、やはり海神、漂流神信仰が根付いていたのだろう。
海岸に作られているエビス像の顔はにこやかで、海を生業とする人たちにしてみれば、大切な信仰だったのだろう。
神殿は小さな祠だが、島民は古い時代からの信仰を大切にしていたと思われ、古代の長崎を想像できる祠である。