三ツ山町 鹿島神社 武士の集落の可能性あり
住所は長崎県長崎市三ツ山町1889番地となっている。場所は川平方面で六枚板へ入る入口付近から、不当廃棄を防止するためのチェーンのかかっている道へ行くと、坂を登りきった所に一の鳥居がある。
このあたりは浦上川の源流になっていて、ホタルが舞う場所がある。昔子供達が小さい時、このあたりの場所へ行き、小さな光を放つホタルを実際に見て、親の私が感動した思い出がある。
一の鳥居から神社まで、細長い並木道を結構歩く。
こじんまりとした社殿は建て替えられていて新しい。建て替えの時に神社の形式には囚われてなかったようだが、入り口の屋根のヒサシは伸びていて、神殿部分もあるので、やはり神社の形式は保っているようだ。
裏に回ると、祠を祀っていたあとがあるので、野ざらしの祠を社殿に入れたのだろう。
拝殿の中を除くと、中央奥に祠が祀られていて、左手には太鼓もある。これは信仰が現在も生き続けている証拠である。
鹿島神社の祭神は健御雷之男命(たけみかづちのみこと)と決まっている。
この神様は、神産みにおいてイザナギが火の神様カグツチの首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張」(アメノオハバリ)の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。
なので、この神様は剣術が強い。
出雲の国譲りでは天鳥船で地上に降りてきて、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、その切っ先の上に胡坐をかいて、大国主神に対して国譲りの談判をおこなったとある。
さらに神武東征では神武天皇を助けている。
一般的には雷神、剣の神とされる。また、建御名方神と並んで相撲の元祖ともされ、日本に地震を引き起こす大鯰を御する神様である。
まあ、武闘派の筆頭だろう。
全国に約600ある鹿島神宮の本社、茨城県鹿嶋市の鹿島神のには、戦国時代の剣聖、塚原卜伝の墓がある。
何故三ツ山に健御雷之男命(たけみかづちのみこと)を祀る神社があるのかは不明である。
山の中に鹿島神社がある理由
創建は安政2年(1855)である。かなり新しいが、神社にある石の祠を見ればかなり古いので、社殿が出来るかなり前から、健御雷之男命信仰があったと思われる。
このあたりの歴史を調べると、女の都や六枚板(三ツ山町)では金の採掘が行われていたことや(川平金山 江戸時代初期)、六枚板には金湯と呼ばれる冷泉があり、皮膚病や火傷などに効果があるといって、湯治客も多かったとある。
また、壇ノ浦で敗れた平家の残党がこの地域に住み着いたとも言われている。
山には不似合いな、剣術の神様の鹿島神社があるのは、平家の残党か、金山で賑わった際、浪人たちが集まってきて集落を作ったのではないかと想像できる。
一の鳥居の柱に出征と大きく彫られている。日露戦争の出征かもしれない。
武術の神様の鳥居に、出征兵士の名前を彫ったのは親族だろう。その祈りが叶えられたかはわからないが、その思いは切ない。
その切ない思いこそが、神社を存続させた力だと思う。