三川町 謎の勇大神と墓石群
場所は三川町で長崎南山学園グランドのすぐ近くにある。
麓からだいぶ山奥に入る所で、なぜこの地に勇大神と墓石群があるのかは全く不明だ。
そばに近年の墓が3基あるので、このあたりは墓地なのだろう。
勇大神の鳥居は細い木で出来ていて、祀られているのは大きな石である。その下の方に謎の墓石群がある。
文字がわかるものが有り、「釈 圓教信」と読める。
調べてみると浄土真宗の法名には「釈」が用いられるとの事。
付け方は釈+2字だとのことで、圓(円の旧字体)教が名前だろう。
信の字は位号らしく信士、信女の略だろう。
圓教が名前なのかは不明だが、圓教寺というお寺は兵庫県にある。
天台宗の別格本山でとても有名らしい。
もしかしたら、名前からのイメージはお坊さんのようでもあるが、事実は不明。
そこまでわかったので、写真を見直すと、釈+2字+信士が彫られた墓石が多いようで、浄土真宗の信者たちの墓石群だと推理が出来た。
墓石群の中には仏像も有り間違いないだろう。
しかし、肝心の鳥居に書かれている勇大神がさっぱりわからない。
発見長崎の歩き方のHPにこの地域の情報があった。
300余年の歴史を持つ三川川(みかわがわ)上流の霊場兵底の南山総合グランドを右の細い道へと進み御手水坂と呼ばれる坂を過ぎると、ここから右側の石垣と材木が置かれた小屋との間を進むと静かな川音が聞こえてくる。三川川だ。左側にはのどかな農村風景が広がる川沿いの通路をガードレールに沿って250m程進むと、正面右に釣鐘堂が見えてくる。横に建つ円柱の碑には、「鎮西最初の道場」、側面に「醍醐の滝」の文字。三川川上流にあたるこの地は、300年を越える歴史のある真言宗醍醐派の霊場なのだ。同じように刻まれた文字には創立261年昭和6年3月21日建立とあり、この霊場が長きに渡りこの地に存在したことを今に伝えてくれる。
なるほど。
霊場が深く絡んでいることは間違いない。
一体この地域で何があったのだろうか。
謎が謎を呼ぶ場所である。