坂上天満宮

坂上天満宮

境内の祠

祠の中には恵美須

場所は長崎地方法務局の近く、中央公園が近くにある。
 
大音寺が現在地(鍛冶屋町)に移転した後、享保18年(1733)に坂の上天満宮が創建された。しかし、昭和20年(1945)原爆の影響で焼失し、昭和30年(1955)に坂の下の賑町に移転。
 
これが坂の下にあるけど坂上天満宮という名前の所以だ。
 
この神社の近くに天満坂という石段がある。
 
そこには、長崎喧嘩騒動発端の地と書かれた案内板がある。
 

長崎喧嘩騒動

深堀藩士と町年寄がこの坂で争った。その夕方、町年寄の武士団が深堀屋敷に押しかけ乱暴を働き、刀の大小を奪い去る。翌日早朝、深堀藩士は町年寄の高木屋敷へ討ち入り、彦右衛門以下6名を討ち果たした。
 
この話は有名で、当時の長崎市内の町年寄と深堀藩士の意地の張り合いが討ち入り騒動を起こしたのだが、長崎が異常に活気づいていた証でもある。
 
神社はこじんまりとしているが格式がある。
 
稲荷の祠や牛の像もあり、このあたりの街の信仰は厚かったと思われる。
 

坂上天満宮