興善町 安豊稲荷大明神
長崎市興善町3-13。安豊は「やすとよ」と読む。
この稲荷神社は以前、現・長崎商工会館の北側に建てられていたとある。
その地域は以前、豊後町と呼ばれていた。なのでこの神社は、最初、豊後町稲荷神社だったらしい。
豊後というのだから、大分の人達が住んでいたと思っていたら、市役所通りの桜町交差点から瓊の浦公園付近まで下る坂を豊後坂(ぶんござか)というらしい。
豊後町は島原城主の松倉豊後守が開いた町であるとされている。(「長崎坂づくし」より)
安豊稲荷大明神の安豊(やすとよ)という名称が不明。
長崎奉行の手水鉢
小さな神社だ。鳥居の脇には手水鉢があり、これが長崎奉行遠山左衛門尉景晋(とおやま かげくに/かげみち)が奉納したとされている。
おそらく、手水鉢に付けられている家紋が格子紋だからだろう。
この格子紋は「九字紋(くじもん)」「直違紋(すじかいもん)」の一種で、主に、遠山氏が使用している。
遠山左衛門尉景晋は、テレビで人気のある「遠山の金さん」のパパだ。
松方弘樹が演じている「遠山の金さん」は、「丸に三つ引き」紋だった。
調べてみると、遠山氏の家紋は「丸に二つ引」および「格子」とされている。
なので、まるっきり間違いではないと思うが、長崎の手水鉢の紋は格子紋なので、息子の金四郎も同じ紋だったと思う。
まあ、どうでもいい話だが。