熱田神社

熱田神社

熱田神社

熱田神社

一の鳥居は畝刈児童公園にある。祭神が草薙劍。長崎に熱田神社があるのは珍しい。

草薙劍(くさなぎのつるぎ)の話はやや込み入っている。

草薙剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれ、日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である。

そして、スサノオはその剣を天照大御神に献上する。

その剣を天孫降臨をしたニニギノミコトに託す。

景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託し、ヤマトタケルはこの剣を使い危機を脱する。

ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。

これが熱田神宮の起源である。

この神剣は壇ノ浦の戦い(源平合戦)における安徳天皇(第81代天皇)入水により関門海峡に沈み、失われた。

結局、後鳥羽天皇(第82代天皇)は三種の神器がないまま即位する事になる。

形代(かたしろ)

熱田神社

それなら現代、天皇陛下が持つ草薙剣は偽物かと言うとそうではない。

形代(かたしろ)という言葉がある。

神霊が依り憑く(よりつく)依り代といい、崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという事になっている。

まあ、神爾のことなので、これはこれで理解したい。

熱田

熱田神社

熱田神社 拝殿

熱田神社の熱田だが、これも又古代の歴史に関わってくる。

日本にいた古代集団の一つに、阿曇氏(あずみうじ)がある。

安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり、その説だと安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。

古代日本を代表する海人族で、発祥地は現在の福岡市東部とされる。

古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じた奴国の王族であったとされる

安曇氏一族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達している。

つまり、熱田神社は安曇氏一族の拠点となった神社なのだ。

瓊杵田津(にぎたづ)

長崎の古名に「瓊杵田津(にぎたづ)」というのがある。

同じ読み方で、熟田津という場所がある。愛媛県の道後温泉の港の事だ。

「にぎたづ」を歌った歌がある。

「熱田津に船乗りせんと月待てば 潮もかないぬいまはこぎいでな」 万葉の佳人 額田王 

額田王の歌となっているが恐らくは斉明天皇(女帝)御自身の歌であろうといわれている。

斉明天皇と皇極天皇(こうぎょくてんのう)は同一人物で、2度天皇をやっている実在の人物だ。

実在の女帝・斉明天皇の時代、新羅征伐への出発を歌ったものである。

女帝なのに、とても勇ましい。 日本史の中で、勇ましいといえば神功皇后がいる。

そうここで、神宮皇后伝説が出てくる。

熱田神社

神宮皇后伝説

つまり、畝刈にも神宮皇后伝説があったのだ。

長崎には神宮皇后伝説が多い。

それは、斉明天皇の新羅征伐が終わった後、長崎のどこかに立ち寄った可能性は十分ある。

今回はうんちくが長くなったが、その事を書きたかったのである。

畝刈の熱田神社の前は公園になっていて、子供たちがたくさん遊んでいる場所だった。

小さな神社だが熱田という名前は、上記の内容をたしかに含んでいる。

とても興味深いことだ。

熱田神社の鳥居の文字。昔の字が使われている。

畝刈