外海 大野神社群 宣教師アルメイダは「JIN-仁」

大野神社、門神社、辻神社のある地域を大野集落という。

隠れキリシタンが切り拓いた集落の景観を保持していて、集落内には重要文化財指定の大野教会堂がある。

大野教会

大野のキリシタンは平戸島の領主であった松浦氏の家臣で春日集落を所領としていた籠手田安一が1599年(慶長4年)に追放され、一族・家臣らが大野に流転してきたことに始まるとされる。ウィキペディア

表題の神社群は、キリシタンであることのカムフラージュのため利用された神社である。

いずれも、こじんまりとした神社で、特別なキリスト教の跡はない。

大野神社

門神社

辻神社

大野地区の場合、西彼杵の大半を支配していた大村純忠が1563年(永禄6年)に洗礼しキリスト教を庇護したことによる。

しかし、1612年(慶長17年)に江戸幕府が禁教令を発布したことで大村藩は手のひら返しをする。

そのため、平戸から大野地区まで逃げてきたのだ。

1877年(明治11年)にド・ロ神父が外海に赴任したことで大野集落から約30戸がカトリックに復帰する。

つまり、300年余り、潜伏キリシタンを続けていたことになり、奇跡に近い出来事であることは間違いない。

しかし、幕府の禁教令が悪いとは思わない。

歴史を見れば、日本を侵略しようとしたイエズス会の野望が歴然とあり、宣教師たちはその尖峰となっていたからである。

なぜキリシタンへなったのか

世界の宗教を見れば、根本は愛と慈悲だろう。

それが政治的に利用され、日本では悲劇となった。

それは日本が軍事大国だったため、ヨーロッパの侵略を止めえたからである。

その他の東南アジア諸国を見れば、武力で制圧され、キリスト教が行きわたっている事でよくわかる。

そんな日本でキリシタンになった人々の多くは、宣教師の献身的な行動に心打たれたのだ。

「彼は修道士でありながら、手ずから、あらゆる腫瘍、腐った瘻病、その他あらゆる病気を治療したが、(病人たちは)日本では珍しいことなので、その噂を聞いて各地から来訪した。(そして彼は)それら病人たちに霊的にも肉体的にも助けたのである。彼はそこに或る薬局を設け、シナから多くの材料や薬品を取り寄せ、どのような病人でもそこで(アルメイダ)師の恩情に与かることができた」フロイス『日本史』より

ルイス・デ・アルメイダ

ここで注目したいのは、宣教師のアルメイダは外科手術に長けていたという事である。

この話は、ドラマの「JIN-仁」を思い出させる。

江戸時代へタイムスリップした脳外科医・南方仁は、現代医術の力で江戸時代の人を救ったという話だ。

まさに宣教師アルメイダは「JIN-仁」だったのだ。

JIN-仁

まあ、それだけではなく人柄もあるのだが、助けてもらった人たちは恩義を強く感じたことは間違いない。

しかし恩義を何百年も抱え込むというのは、いかにも日本人的な行動だと思う。


引用
なぜイエズス会は長崎で多くの信者を獲得できたのか?【半島をゆく 歴史解説編 西彼杵・島原半島3】
https://serai.jp/tour/365919

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