飯盛町 歳宮 寺と神社の役割分担
飯盛の結の浜から内陸に伸びた道にある。バス停は大門。
歳宮と書いて「としのみや」という。
創建は元亀元(1570)年。戦国時代だ。
祭神は稲田姫命。おそらくスサノウのヤマタノオロチ退治の櫛名田比売(くしなだひめ)の事だろう。
日本書紀では奇稲田姫(くしいなだひめ)、稲田媛(いなだひめ)と書かれている。
歳宮神社なので、祭神は歳の神さまだと思うのだが、この地に残る伝説のため、祭神を稲田姫命にしたのだろう。
伝説
元亀元年に大洪水があって敷町の田面に刈り付けた稲が流出しそうになったとき夜中に不思議な灯りがともった。翌朝村人が見てみると不思議なことに稲は竹に結わえられて無事であった。
竹に稲穂が結ばれていて無事だったという伝説の意味がよくわからない。
結局、海岸に自生していた竹が防波堤の役割をして、高波の害を免れたことだと推測する。
またその伝説で、この地域を田結と言うとある。
その前は岩瀬の浦だった。
これもまた意味が不明だ。本当は何か別の語源がありそうだ。
歳宮とは稲の豊作を祈る神社である。
ここ以外では、矢上の平間町にある。それ以外はないと思う。
よく考えると、一年の無事を祈る神様というのは不思議だ。
あまりにも漠然としているからだ。
この歳宮の隣には、田結観音寺がある。
行基縁起の寺だと言う。とすればかなり古い。
よく考えれば、お寺と神社がなかよくあるというのも不思議な話しだ。
歴史を見れば田結観音寺がかなり古い。なので最初は田結観音寺だけだったはずである。
そして歳宮という神社が横に作られた。
神社というのは、祭りや神爾を行う場所である。
お寺だけでは、やはり駄目だったのだろう。
この地区では神社とお寺の役割分担がしっかりあったようで興味深い。
いろいろ謎の多い地域だ。
近くに、大量の謎の遺跡が存在する牧島もある。
その謎ははるか古代に解く鍵があるのかも知れない。