瑠璃光殿

瑠璃光殿

瑠璃光殿

琴海の長浦町。幹線道路より山側にある道路に面している。

立派な鳥居があり境内も広い。

鳥居の神額には「瑠璃光殿」と書かれている。

瑠璃光とは薬師如来の事で、この神社は仏様を祀る神社なのだ。

ここを神社と言っていいのかわからないが、鳥居があるので神社という区分だと思う。

瑠璃光殿

釈迦如来

拝殿の薬師如来

石灯籠はあるが狛犬はない。拝殿の入り口にはしめ縄は飾られているが、鈴はついていない。

拝殿を見れば、金色の薬師如来が祀られていて、境内の右手には、釈迦如来石像が祀られている祠もある。

まさに神仏混合の神社である。

なんとなく不思議だが、こんな神社は何度かみたことがある。

最近では、長与の堂崎にある南無観世音菩薩だが、ここも仏が祀られているが立派な鳥居がある。

少し長崎寄りの西海(にしうみ)町にある香取神社は明治前までは毘沙門天王社だったので拝殿正面の欄間には卍の印が残っている。

神仏判然令

瑠璃光殿

長崎市内を離れると、仏様を祀っている神社が意外と多い。

なぜこんな形になっているかといえば、明治政府が明治元年(1868)3月から行った「神仏判然令」という政策の為である。

これは仏像を神体としたり神前に仏具をかざることなどを禁止した法律だ。

目的は神道の国教化政策を推進させ、諸外国と対抗するための体制づくりのためである。

これにより大きな打撃を受けたのが仏教界だ。

江戸時代では僧侶身分の者が高い地位を占め,神職身分の者はそのもとに従属していたのだが、一気に逆転現象が起きる。

神社に勤仕していた僧侶が還俗して神職となったり,職業を失ったりしている。

また、寺院からの神社の独立や神社からの仏教的要素の除去などが全国的に行われた。

さらに、この流れはお寺や仏像を壊したりする廃仏毀釈運動まで全国に広がっていく。

長崎の場合

これにより、長崎でも神仏習合の神社は仏と神を分離していく。

例えばくんちで有名な八坂神社だが、それまでは祇園宮と称していたが、明治元年に八坂神社となっている。

諫早の諫早神社だが、明治以前は四面宮(しめんぐう)だった。

こんな例は他にも多数ある。

しかし、この神仏判然令も地域によって温度差があったようだ。

今回の瑠璃光殿だが、江戸時代の寛永期にはあったといわれる古い神社で、「神上薬師さま」と地元の人達からは呼ばれている。

この瑠璃光殿が明治の神仏判然令をどう乗り切ったかは不明だが、現在は立派な薬師如来を堂々と祀っているので、うまくやったに違いない。

現代では神社に仏様が祀られていることに違和感があるが、江戸時代までは当たり前だったのだろう。

このことを思えば、日本人の信仰の形がよく見えてくると思う。

最初から神様と仏様を区別していなかったのだ。

つまり「神仏教」だったということである。

瑠璃光殿