蚊焼 岳路神社 ルルドを模したキリシタンの慰霊所
長崎県長崎市蚊焼町4517
場所は野母半島の真ん中あたりで、軍艦島がよく見えるところで、町名は蚊焼町になる。
岳路といえば海水浴場が有名なのだが、現在は昔ほど賑わいはない。しかしトイレや休憩場所、駐車場があるきれいな海水浴場で、今は穴場的な場所になっている。
グーグルマップで岳路神社というのを見つけ、かなり探し回った。なかなか見つけ出せなかったが、人家の近くの坂道の脇に、立ち木で隠れるようになっている入り口をついに見つける。
参拝してみる。
神社と書かれていたが、鳥居もないし神社らしき社もない。
まず手前に石の慰霊碑があり、下に戦没者名が彫られている。没した年齢はかなり若く殆どが20代だ。
その奥に祠があり、岳路神社と銘された祠がある。
更にその奥に、石で組まれた物があり、その中を見れば観音様らしき石像があった。
やや広い境内はそれだけだったが、きれいに清掃されている。そういえば入り口に掃除道具と水場がきれいに揃えられている。
うーん。神社と地図には書かれているが、明らかに神社ではない。
地面はコンクリートで舗装されていて、ところどころ大きな正方形の石が設置されている。ベンチのようだが、これって建物の礎石の跡かなと感じた。
その奥に一段高くなっている場所があり、車止めのようなコンクリートの低い柱が6本並べられている。よく見ると奉納と書かれている。
何が祀られているのかと思い入ってみると、上座には自然石の石板を組んだ岩箱があった。
奥には観音様らしき石像が安置されている。一応神具が並べられていたので、なんとなく天岩戸っぽく作られている。
手前の石碑や祠と比べて、実にアンバランスだ。
そして、きれいに清掃されていて、一段高いところに祀られている。
ふと気が付いた。
これはキリシタンの人たちの集会所だと。
岳路は江戸時代深堀藩だったが、キリシタンの集落が点在する地域でもあった。深堀藩はこの地域の人がキリシタンであることを知っていたが、条件付きで容認していたと記録にもある。
野母崎半島には隠れキリシタンの場所が多く存在している。有名なのは善長谷教会だ。
善長谷教会は1823年に外海・東樫山から移住したキリシタンの子孫が住む山里で、1883年には一家族を残してカトリックとなり、1895年に教会ができたとある。
ここは、善長谷教会から距離は少しあるが、岳路地域もキリシタンの集落があったのだろう。
ここの慰霊碑は恐らく大東亜戦争の戦死者だと思う。
戦死者は普通は神社で祀られるのだが、この場所を守っている人たちがカトリックだとすれば、教会に祀られたかったのだろうと思う。
しかし長崎の地はキリスト教を拒んでいた。
そこで日本国を守るために戦った地域の若者たちの霊を祀るために、この場所を作ったのだろう。
戦没者の年齢を見れば若いので、その家族のご両親や縁者が建てたのかもしれない。
そして一番奥に祀られている石像は、マリア様だと思う。
しかしなぜ石板の中なのかを考えたら、善長谷教会のルルドの事を思い出した。
ルルドの聖母は長崎に多く作られている。
きっと、手前が教会で、その奥がルルドの構図だと思う。
善長谷教会がそうだからだ。
隠されているようにしている入口、鳥居もなく社もない場所を思えば、キリシタンの教誡を模したもの、それ以外には考えつかない。
きれいに掃除されているここは、今でも参拝する方がいる証である。
日本国のために戦った若者たち。しかしその思いは、故郷やそこに住む親兄弟、友達を守るために戦場に出ていったのである。
戦争を悪だと声たかだかに論ずることはいいのだが、過去、自分の故郷を守るためと信じて戦った若者たちは、きっと正しいのだ。
そしてわが子を戦争で失った親たちは、やはり神にすがるしかなかったのだと思う。
若者の魂を祀る人々は、宗教を超えた愛があると思う。
そんな思いが伝わってくるような場所だった。僕は頭を垂れてこの場所を後にした。