大瀬戸 岩倉神社 上宮・外宮  中浦ジュリアンと権現岩


岩倉神社  長崎県西海市大瀬戸町多以良内郷1139

岩倉神社

国道202号線で、大瀬戸へ行く。西海市役所を過ぎ、瀬戸板浦郷の港から内陸の方に入ると、片方が田んぼ道の三叉路にあった。

頑丈そうな石の鳥居の左手に、神社の由緒が書かれている。

由緒書きより

 高以良内郷字長谷の南の高台に、権現岩と呼ばれる巨岩がそそり立っている。高さ33m、周囲30m程もある円筒形の奇岩である。この岩の根元に祀られたのが「岩倉権現」である。
明治3年に神社の名を、岩倉神社と改め、明治5年に村社に列せられた。その後、神社が高台にあったため明治38年12月に上郷の現在地に拝殿が建立された。現在は多以良地区の氏神様として崇敬されている。

つまり、ここは下宮で、明治38年12月に建立されたという事だ。

結構新しいんだなと思ったが、それでも100年以上の歴史がある。

 

 

岩倉神社 ホタルの里

 

その由緒書の左手にホタルの里という小さな看板があった。地図を見ると、多以良川ほたるの里河川公園があるらしい。

岩倉神社

この神社の祭神は天照皇大神となっているが、上宮の岩倉権現というのが本当の祭神だ。

岩倉神社 石碑

境内には、色んな石碑が立ち並んでいる。

殉国者の碑と書かれているので、日清日露か大東亜戦争の戦没者を祀っているのだろう。

岩倉神社

岩倉神社 狛犬

岩倉神社 拝殿

岩倉神社 拝殿

 

石段があり、二の鳥居がある。それを登ると開けていて本殿が鎮座している。

拝殿のそばに狛犬があるのだが、狛犬の脇に米俵らしきものもあり、芸のある作りだ。

拝殿は瓦屋根で、それほど大きくない。

ぱっとみて古い印象だが、拝殿の中は椅子が並び、きれいに整頓されているようだ。

岩倉神社 神殿

岩倉神社 周りは田んぼ

岩倉神社

 

後ろに回り込むと、祠の神殿があった。

昔は、多分この祠だけだったんだろう。

境内の周りを回ってみる。周りは田んぼである。

境内は掃除されていてキレイで、周りの田んぼと相まって、のどかさが漂う神社である。

上宮

岩倉神社 上宮

 

参拝が終わったので、上宮へ行ってみる。

このあたりはよくわからないので、バイクに付けたアイフォンのグーグルナビだけが頼りだ。

すこし来た道を戻り、山の中に入っていく。

どれくらいの距離か検討もつかないが、バイクで山道をどんどん登っていく。

道の悪いカーブを曲がると、そこが上宮だった。

バイクで一の鳥居まで行けるのだ。

岩倉神社 上宮

岩倉神社 上宮

岩倉神社 上宮 祠

 

鳥居は頑丈な石の鳥居で、其の後ろに拝殿らしき小屋があり、其の後ろに巨大な岩山がある。

石段を登り、拝殿らしき小屋へ行く。

朽ちかけているようだが、入り口に四角い穴が空いていて、覗いてみるとなにもない。昔はここで祭祀が行われていたようだ。

岩倉神社 上宮 権現岩

岩倉神社 上宮 権現岩

岩倉神社 上宮 権現岩

 

回り込むと岩山の前に石段があった。ちゃんとパイプの手すりが付けられている。

登ってみると、細いので見た目より怖い。

岩の前に祠が安置されている。

下宮の解説によれば、ここが高以良内郷字長谷の南の高台で、目の前が権現岩だ。

高さ33m、周囲30m程もある円筒形の奇岩と書かれているがそのとおりだ。

そしてこの祠が岩倉権現である。

神社名の岩倉だが、巨石を信仰する磐座(いわくら)から岩倉神社になったようだ。

この岩倉神社に関して調べていくと、「小佐々氏の祖霊神とも云われる権現岩」という文章に出会う。

さらに中浦ジュリアンという言葉も出てきた。

中浦 ジュリアン(なかうら ジュリアン)は、肥前国中浦(現・長崎県西海市西海町中浦)に生まれた安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタンで、天正遣欧少年使節の副使。イエズス会士でカトリック教会の司祭となり、殉教して福者となった。中浦は地名、ジュリアンは洗礼名で、幼名は小佐々甚吾(こざさ じんご)。ウィキペディア

中浦ジュリアン

 

天正遣欧少年使節である。

中浦ジュリアン中浦城主小佐々甚五郎純吉の息子とある。

なお、父親の純吉と大伯父の純俊は、顕彰石祠や墓碑がある「小佐々弾正・甚五郎塚」(佐世保市南風崎町)と、特異な大型墓碑やキリシタン墓が残る「長崎県指定史跡・多以良の小佐々氏墓所」(西海市大瀬戸町多比良内郷)との二か所に祀られている。ウィキペディア

「小佐々氏の祖霊神とも云われる権現岩」とはこの事だったのだ。

中浦ジュリアンの父親と大伯父は勇猛な武士で、キリシタン大名の大村純忠に認められ、息子を天正遣欧少年使節に加えたのである。

ということで、この権現岩が、もしかして中浦ジュリアンの祖先も祀っていたのかも・・・

まあ、かなり不確かだが、もしかしたらという世界である。

大瀬戸地域もキリシタン縁の地が多いが、この岩倉権現は、それよりももっと昔から、信仰の対象になっていたはずである。

長崎にも磐座信仰の神社は多い。

岩倉神社 上宮

 

山の中とはいえ、巨大な奇岩は、神のサインとして祀っていた。

キリシタンは一神教なので、キリストのみが神である。

だが日本人はさまざまな神の存在を信じている民族である。

岩が神だといえば、西洋の人たちは笑うかもしれないが、生きとし生けるもの全てを精霊とする気持ちは、実は宗教を超えて、自然の中の人間であるという哲学に近いものだと思う。

それが神道と呼ばれるものである。

この岩倉権現もその中の一つだった。

 

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