十人町 住江稲荷神社 鳥居の謎
長崎市十人町13-10
場所は館内の唐人屋敷に近い地域にある。
坂の途中にある鳥居をくぐると広い境内で、キレイに砂利が敷き詰められていて、正方形の石のタイルが拝殿への道になっている。
拝殿の前の鳥居は赤く、神額には住江稲荷神社と書かれている。
その先の石段を登ると拝殿で、拝殿の扉には鍵がかかっている。
隙間から覗く、拝殿の奥は扉があり、お供えの台があるのだが、なんとなく稲荷神社のように見えなかった。
後で神社の後ろに回り込み神殿を見たが、立派な作りの神殿だった。
うーん。そういえば小さな狛犬が置かれているのだが、どう見ても狛犬で、稲荷の狐ではない。
境内左の石垣の上に、石の祠が2つ置かれている。
中がよく見えなかったが、下部の祠の中にはなんにも無いようで、上部の方の祠には、犬の形のような石の塊が安置されているようだ。
なんだろう。
住江稲荷神社については、由緒等がどこにも見当たらなかった。
十人町
十人(じゅうにん)の町名は、野母遠見番所で働く遠見番10人の官舎が置かれていたことに由来する。
野母遠見番所
寛永15年(1638年)江戸幕府によって築かれた。 島原の乱の後、鎖国政策をとった江戸幕府は老中で武蔵国忍藩主であった松平信綱の主導で遠見番所が整備され、外国船の監視を行ったとある。
住の江神社はそのことになにか関わりがあるのだろうか。
いろいろ調べても何もわからなかった。
どこかに記録や由緒はあるの思うのだが、ネットには出ていないようだ。
鳥居の謎
一つ、とても不思議に思ったのが、一の鳥居である。
どこが不思議かといえば、鳥居の一番上の笠木と呼ばれる部分が丸いのである。
さらに貫も柱の外を突き出ていない。
これは神明鳥居(しんめいとりい)とか靖国鳥居(やすくにとりい)と呼ばれる形式である。
社殿の前の赤い鳥居とは違う形式なのだ。
この柱には明治41年と彫られているので、そんなに古いものではない。
とすれば、明治の時代なので、神道の古い形式の鳥居をわざと建てたのかもしれない。
うーん。
全てが謎である。
まーいいか。神社は由緒が必要ではなく、祈る場所である事が基本だ。
隣にはきれいなお寺が建っている。見た目こそ神社はシンプルすぎるのだが、誰でも手を合わせることが出来るのだ。
これは宗派のある仏教と、決定的に違うことである。
古い石の祠も祀られているので、この場所は昔から信仰のあった地域だったと思う。
そして今でもキレイに祀られているのは、住民の方たちの信仰が厚いせいでもある。