戸石 金比羅神社 祭神が大物主神の不思議
戸石漁港から山に登る道を行く。かなり登ると右側に、細いコンクリートで舗装された坂道があり、そこには金毘羅山道という石柱があった。
そして坂の側面のコンクリートに大きな案内が描かれた看板もある。
神社まで440mとある。
結構登らないといけないので、バイクで行けるところまで行こうと思い、登ったのだが、坂道が狭く、おまけに落ち葉が積もっていてタイヤがすべる。
恐る恐る進んだのだが、観念して、途中でバイクを止めて歩くことにした。
かなり登ると、草に覆われた鳥居を発見。
立派な石の鳥居には文字が書いていて、「文久二・・」とだけ読める。文久二年だとすれば1861年で幕末である。
鳥居の先には、社殿はなく石の敷地があり、石灯籠の先には石の囲いがあり、真ん中に石の祠があった。
作りは新しく整然としている。
石の由緒書があり、そこには祭神は大物主神(大国主)と書かれている。
そして安政3年(1856)讃岐の金毘羅宮の分霊を祀ったとある。
うーん。それなら祭神は金毘羅様でいいと思うのだが。
神殿の祠を拝まさせていただいたが、金色の恐らく大物主の像が祀っている。
神道の場合、仏教のように偶像は作らない。そして、ここの祭神の像は金の像である。
不思議である。
この神社の作りも、何だか違和感だらけである。
ここの宮司さんは戸石神社宮司が兼任しているという。
金毘羅神社なのに、祭神が大物主。そして社殿がなく、金色の偶像。
どんな理由があるのだろうか。気になる場所だった。