多良見町西川内 天満宮 神と仏を祀る

〒859-0404 長崎県諫早市多良見町西川内(諫江八十八ヶ所第七十五番札所)

近くに喜々津川が流れている。西川内というバス停もあるようだ。このあたりはよく知らないのと、グークールマップのとおり進んでいるので、実は場所を正確に伝えることは出来ない。

多良見町西川内 天満宮

多良見町西川内 天満宮 一の鳥居

多良見町西川内 天満宮 参道

多良見町西川内 天満宮 参道

多良見町西川内 天満宮

ただ、山に続くコンクリートの道を進んでいると、鳥居を見つけたという感じである。

鳥居は立派で、柱には大正10年という文字が読める。

参道の植木も刈り込まれていてキレイだ。30メートルほど進むと、二の鳥居をくぐり広い境内に入る。

多良見町西川内 天満宮

多良見町西川内 天満宮  境内

多良見町西川内 天満宮

多良見町西川内 天満宮 拝殿

多良見町西川内 天満宮 菅原大神

天満宮 仏像

天満宮 仏像

天満宮 不明

立派な石灯籠が左右にある石段を登ると、天満宮の社殿がある。

かんたんな造りの社で鈴もしめ縄もない。向拝の屋根だけが神社の雰囲気を残している。

拝殿を覗くと、板張りで左右に棚が作られていて、石仏が4体づつ計8体祀られている。

中央に神殿があり、その前に鈴と賽銭箱があった。

神殿を望遠レンズで撮影すると、菅原大神と書かれた石の祠が安置されている。

これが御神体だ。

天満宮 神殿

天満宮 諫江八十八ヶ所第七十五番札所

諫江八十八ヶ所第七十五番札所

拝殿の入り口左には、諫江八十八ヶ所 第七十五番札所と書かれた杭が建っていた。

さて、ここを神社と呼んでもいいのだろうか。

中央に祠が祀られているが、仏様のほうが主の作りである。

神仏習合の見本のようで、本来は札所の小屋がメインだと思う。

それにしては、入り口の鳥居や参道は立派なので、やはり明治政府の神仏分離政策で、神社の体裁を大正時代整えたのだろうと思う。

諫江八十八ヶ所は諫早の殿様になれなかった息子の不遇を憐れみ、文政8年(1825年)四国八十八ヶ所に習って諫早領内に88体の弘法大師像を設置したものである。

札所のほうがかなり古い。

なぜこの場所に天満宮があるかは不明だが、近くに八坂神社もあるので、京都に馴染みのある公家か武士が、菅原大神を祀ったのかも知れない。

少しふもとへ降りてインターの方に行けば、市布天満宮や天満公園もあり、そこにも諫江八十八ヶ所がある。

諫江の札所は、武家の母が我が子のために設置したものなので、亡き子供の為に、学問の神様を合わせて祀ったのかも知れないと思う。

多良見町西川内 天満宮

多良見町西川内 天満宮

多良見町西川内 天満宮

明治政府の神仏分離政策は、国のために行なったのだが、一般民衆は、かなり迷惑を被った人もいたのだろう。

日本の信仰は、1000年以上の長い間、神と仏を一緒に祈っていたのだ。

いきなり神仏を分けろと言われても戸惑ったのだろう。

そこで、ここの天満宮のように、立派な鳥居と参道、境内を付け足して、表向きは神社にした。

しかし社殿を見れば一目瞭然で、神社とは呼べない作りである。

まあ、これでもいいのだと思う。

神も仏も同じ尊いものだからである。

 

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