多良見町佐瀬 勢女熊野神社 (佐瀬熊野神社?)
長崎市内から長与港へ行き、そのまま海沿いを走る。道なりに走ると道脇に鳥居が見える。多良岳の麓になり、小崎鼻の右側にある。
道路沿いに一の鳥居があり、その左横に、扉が閉まっているコンクリートの箱のようなものが有った。
これは大村藩の郷村記に、「1742年に建てた観音堂が破損したので、1785年再興した」とあるので、おそらくこのコンクリートの箱が観音像を収めた厨子だろうと言われている。
扁額には熊野神社と書かれている。急な石段を上がると、正面に社殿があり、左手には記念碑、左右に立派な狛犬が置かれている。
拝殿の中は賑やかで、板張りの上にゴザが敷かれ、正面には天皇陛下御即位の垂れ幕や、提灯、神殿の前にしめ縄などが飾られている。
神殿に回り込むと、ここに石の祠が有った。小さな仏像らしきものが有ったが何の祠かは不明。その後ろにも石の祠がある。
中には首の取れた観音様のようだ。
この神社は、もと佐瀬村の氏神とある。
多良見の郷土史には佐瀬熊野神社とある。
由緒も祭神も船津の熊野神社と同じで、神職も兼務されているとの事。
船津の熊野神社の起こりは、1658年、峰六兵衛というものの宿願で、領主に願い出て許されて仏像を祀ったのが始まり。
更に三社大権現も祀り、神仏習合の神社となったが、明治維新の神仏分離で、仏様は園満寺に移し、その時点から熊野神社となったとある。
佐瀬(勢女)熊野神社、崎辺田熊野神社、琴の尾神社、事代主神社は同じ神主さんが兼務しているとある。
なるほど、最初は仏像を祀ったとあるが、申し出た峰六兵衛さんは信心深かったんだろう。
それから、いろんな神仏が集まってきたのである。
勢女熊野神社の祭神は、須佐之男命、速玉男命、事解男命と書かれているが、これは明治になってからの話なので、あまり深堀りはしないでおこう。
この神社の場所だが、この地区から直接琴の尾神社に行く道が昔はあったらしく、それを勢女道といったらしい。
この勢女という地域名が気になる。
郷土史にも出てこないし、ネットで調べてもなにもない。
そもそもグーグルマップには勢女熊野神社と記入されているが、郷土史には佐瀬熊野神社とあり、鳥居の扁額にはただの熊野神社である。
勢女熊野神社という名称には疑問が残った。
勢女とかけば、勢いのある女性という意味が頭に浮かぶ。
ここの地域から、琴ノ尾岳に行けたという。
琴ノ尾岳の神社は、天宇受賣命である。
彼女は「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言われている。それ以外には、おたふく、おかめの愛称もある。
アメノウズメノミコトのうずめと勢女(せこ)。
なんかありそうなんだがな・・・。