本古川町 稲荷神社 二階のベランダに鳥居
浜の町のアーケードから鍛冶屋町方面に出た車通りの、コンビニと薬局のある方向にある。
この神社は、アパートのベランダに鳥居がある事で有名だ。
まあ場所が長崎市の繁華街で、皆さん神社の場所の確保は苦労しているようだ。
銅座と呼ばれる飲み屋街には五階建てのビルの屋上に稲荷神社があるし、眼鏡橋のとおりには、一階が駐車場で、二階に社殿があるところもある。
まあそれにしても、ベランダに鳥居を置こうと決心された方に、あっぱれをあげたい。
なかなかここまで思いきれないからだ。
祭神は稲荷神。創建はふめいだが、一階の鳥居には大正14年建立と彫られていた。
おそらくそれまでは、この地の一階に社殿も有ったのだろう。
長崎市内が埋め立てられ始めたのは、開港と呼ばれる1500年代からである。日本唯一の貿易港として、商業的発展が始まった時から、長崎は天領で商業都市になった。
そんな街に稲荷神社がある事は当たり前だとも言える。
この地域は万屋町なのだが、長崎開港時の旧町名で、本古川町稲荷と呼ばれている。
これは長崎くんちの出し物を、旧町名持ち回りで行うからである。
本古川町のくんちの演し物は現在「御座船」である。
くんちの出し物は、毎回決まっているものもあるが、くんちの度に変えてもいい。
本古川町の演し物は昔から勇壮な曳き物と決まっていて、明治後半から昭和にかけては水兵さんが曳く「軍艦」で人気を博したとか。 そして今は「御座船」。 江戸時代、大型軍船を持つことを禁じられた各大名たちは、代わりに中型軍船を豪華に飾り付けして御座船とし、参勤交代時などに利用したそうです。
これは、奉納が神仏や伝統ではなく、派手さや関心の高さで行うからである。
つまり、諏訪神社のおくんちはイベントだからだ。
神社のあるビルは本古川町自治会と書かれている。
ビルのベランダに鳥居を出すのはしょうがないとしても、もう少しベランダに神社の雰囲気がほしい。
荷物じゃないんだからと思う。
ありがたみが、あまり感じられない神社である。残念。