大村市玖島 龍神社 神社だが中身は仏寺
大村神社の撮影の次に行った神社で、大村湾の側の大村ボート施設の駐車場近くにある。
ここから道を一本挟んで湾側に島が有る。
龍神島という小さな島に竜神橋がかけられ、その小島の中に社殿があるらしい。橋の欄干最初の親柱の右には竜神橋とかかれ、左には平成九年7月完成と書かれている。
島の名が龍神島、橋の名が竜神橋。龍の文字が違うのだが、なにか意味があるのかもしれない。
幅2メートルくらい。木製で段差がない。茶色に塗られた欄干の上には、等間隔で明かりがつくようになっている。夜渡る時明かりがつくようだ。
橋の作りといい、インスタ映えしそうなロマンチックな演出だ。
橋の前には由来が書かれている大きな看板がある。
内容の概略を記する。
■龍神島は古代、この一帯を支配していた豪族の古墳地域だった。
■龍神社の御祭神は八大龍王
■創建は、大村家二十三代藩主「大村 純尹(すみまさ)」の期に社殿が建造された。
■宝永五年(1708)に社殿を建造し、 多羅山四世権大僧都法印を招いて開眼導師とした。
古墳地域というのは玖島崎古墳の事だろう。
この古墳は、横口式小形石室古墳と呼ばれ、6~7世紀にかけてつくらた羨(せん)門には2本の石柱がたてられ、天井石のないこの様式の古墳は、北九州の海岸に多くみられるもの。
つまり、この地域は北九州との交流があったということだ。
創建は、大村 純尹(すみまさ)
藩財政窮乏のため、家臣団のリストラを行なった。しかし幕府の手伝い普請、軍役、参勤交代による出費で財政的にはさらに苦しんだ。このため新田開発や年貢増徴を行なうなどしたが、凶作や捕鯨業の不振などもあって、借金を何度も行なっている。しかし、あまりに借金を何度も行なったため、遂には商人から拒絶されたこともあるといわれる。ウィキペディア
藩財政が悪化して、その対策にかなり苦慮したと書かれている。龍神社を立てたのも、必死の神頼みだったのかも。
島は江戸時代の地図に載っていて、大村郷村記を現代風に口語訳しているHPがあったので掲載させていただく。
龍神島(りゅうじんじま) (別名)垂迹嶋(すいじゃくじま)とも言う
原本「一 龍神嶋 垂迹嶋? 板鋪浦内にあり、周廻壹町三拾八間、松樹數拾株生す、此處に八大龍王の石祠あり 事出神社之部 故に龍神嶋の名あり 」
(大村湾内の)板鋪浦(いたじきうら)にある。(島の)周囲は約166mである。 松の木が十株(10本位)生えている。この場所に八大龍王の石祠(せきし)がある。 (詳細は神社の部に書いてある) この由来から龍神島の名称となっている。 ( )内は翻訳者の補足
http://fukushige.info/oomura-island/ryujinjima.html
細い竜神橋を歩いて島に渡る。
大村藩の地図には、橋は描かれていないという。橋の下は浅瀬で、引き潮の時に渡ったのかも知れない。
平成9年にこの橋完成したと書いている。やはりかなり新しい。
橋の終点に白い鳥居があり、扁額には龍神宮と書かれている。
そこから白いコンクーリートの参道があり、社殿の前には、屋根の付いたおおきな金属の線香を立てる箇所がある。
常香炉(じょうこうろ)と呼ばれる物のようだ。
浅草の浅草寺にあるようなやつで、煙を浴びることにより、身体を清めるという効能があると言われている。
その先には拝殿があり、左右に仏像が置かれている。左が白衣観音で無病息災、右は聖観音で諸所祈願成就と書かれている。
正面の拝殿入り口上は、八大龍王廟とある。拝殿の入り口は、ステンレス製で頑丈な鍵が取り付けられている。
拝殿を回り込むと、石垣に載った石の祠が海を背景に鎮座している。
これが御神体だ。
その後ろは大村湾。ロケーションは抜群だ。
拝殿の右側に、海岸に続く小道があり、屋根付きの休憩所が作られている。
その横に、海に続く小道が作られていて鳥居もある。
海からの参拝者を迎える為か。
全体を見れば、こじんまりとしているが、とても景色が良く、小綺麗な神社島である。
しかし、作られたようなロケーション、デザイン性の強いお堂、置かれている仏像。神仏習合の神社だとわかるが、何処か怪しさが付きまとっていると感じる。
なぜだろうか。
八大竜王
龍神社の祭神は八大龍王だが、厳密にいえば神道系の神様ではない。
法華経に登場する仏様だ。
八大竜王(はちだいりゅうおう)は、天龍八部衆に所属する竜族の八王。法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。昔から雨乞いの神様として祀られ、日本各地に八大龍王に関しての神社や祠がある。
拝殿の前の観音像について
白衣観音
日本や中国では、三十三観音の一人に数えられる観音菩薩。密教の『胎蔵界曼荼羅』には蓮華部に白処尊菩薩の名前でも登場する。仏教に取り入れられてからは阿弥陀如来の明妃となり、観音菩薩の母とも仰がれて、その後、観音菩薩の主尊として信仰されるようになった。
聖観音(しょうかんのん)
正観音とも書き、六観音の一尊でもある。もともとは「正法明如来(しょうほうみょうにょらい)」という仏であったが、衆生の救済のため人間界に近い菩薩の身となった。
いずれも仏教の経典にある仏様である。
しかしここは仏教系の仏様を祀っているのに、神社という名称である。
実は、竜信仰は、仏教と神道が複雑に入り組んでいる。神仏習合という日本独特の考え方が、神と仏を混在させてしまった。
神仏習合の思想で、一つの新しい宗教に成ったかといえばそうではない。仏が主という考え方の本地垂迹説、神が主という反本地垂迹説の両方がある。
さらに神道と仏教は、混じり合わない部分を持つ緊張関係でもある。
このあたり、日本人の心根は複雑でもある。
平安時代から明治維新まで、仏教優位だった。ところが明治維新の際、神仏分離ということで、神道が国教となり、地位が逆転してしまう。
しかし現実には、その立場は二転三転をして、混在のまま現在に至っている。
竜の字の違い
八大竜王は仏教、八大龍王は神道ともいわれることがあるが、実際は混同されている。
「竜」が新字体、「龍」が旧字体なのだが、英語で表すと「ドラゴン」となる。
「りゅう」の伝説は世界中にある。
竜は、西洋だと「ドラゴン」であり、恐竜のように二本足で立ち、大きな翼を持ち火を吐く。
日本の竜は、りゅう、りょう、たつと読む。神話では八岐大蛇だったり、竜宮城という言葉がある。雨を降らせるのも竜のイメージ。
龍は、中国の神獣・霊獣で皇帝のシンボル。
もう一つインドがあり、インドの蛇神であり水神でもあるナーガが龍のもととされている。
やはり最初はインドの蛇神ナーガで、仏教、道教の中国で中国的要素が加わり、さらに日本神話の様々な要素が加わったとされている。
なので、「竜」と「龍」の違いはないと捉えられている。現在の八大竜王はインドの蛇神ナーガをベースにして、日本神話の八岐大蛇伝説と仏教の八大竜王伝説の合体とも言える。
というわけで、龍は神道の存在でもあるのだ。
長崎には有名なくんちの蛇踊りが有る。坂本龍馬も関係が深い。龍は馴染みの存在でも有る。
龍神社も長崎にいくつか有るが、そこには日蓮宗が介在している場合が多い。それは龍に関して法華経に書いているからだ。
それ以外にも、曹洞宗、真言密教、修験道なども絡み、中には悪質な新興宗教さえ「竜神」を利用している場合がある。
仏教は奥が深い。いや深すぎて、私ごときには到底理解できない部分も多い。
神道も仏教よりはシンプルだが、古事記、日本書紀に載っていない民間信仰を含めると、複雑怪奇でも有る。
どの信仰が正当かなどという問いは、愚問の最たるものだ。
特に日本人の日常には蛇信仰が多くあり、様々な学者や作家がそこに多く関わっている。私の場合、「人はなぜ蛇を恐れるのか」そこが興味の的である。
玖島の龍神社。島は小さく、小説や漫画に出てきそうな島である。
怪しいと感じた拝殿の雰囲気だが、そのデザインが現代的だから、新興宗教の感じがしただけだ。
古い神社というのは、神と人間の間に微妙な距離感を保ち続けていると感じるものだ。
寺院の場合、だいたい僧侶がいて、訪れる人を見張る門番の雰囲気を持っている。
まあ、寺院が存続するには檀家の人たちのお金が必要で、それ以外の人たちに対して、それほど開放的ではなく、閉ざされた空間なのだ。
神社は、神主が常駐していない場合が多く、誰に断るでもなく拝殿の前に立つことが出来る。
だが、神が人に近づく事はなく、人が神に近づいていくものである。
一般的に言えば、「神に祈る、仏にすがる」と言う事か。
この龍神社に関して言えば、名前は神社だが中身は仏寺だ。
その違和感が、怪しさの大本にあるのである。
競艇で心折れた方も、この島の休憩所で休めば、回復するかも。
いやいや、人間の業は深すぎて、龍神様も手を焼くかも知れないな。