千々石漁港 宗像神社 弁天様と慕われていた

雲仙市千々石町乙1161 宗像神社

千々石漁港

千々石漁港

宗像社 一の鳥居

宗像神社への道

宗像神社への道

この宗方神社は、千々石漁港の山手に有る。

入り口には倒れそうな木製の鳥居があり、そこには宗像社と書かれている。

セメントで舗装された手すりの有る石段を登る。大岩が迫りくる狭い道を進むと、石垣が組まれた高台の上に神社が見えてくる。

宗像神社への道

宗像神社への道

宗像神社

宗像神社

宗像神社

宗像神社

宗像神社 拝殿

ぐるりと回り込む道の先には、コンクリート製の大きな鳥居が現れる。

扁額には宗像社と書かれていて、柱には明治二十二という年代が彫られている。

その先には石柱の幟立てがあり、先へ進めば、石灯籠が左右にあり、石段が付いた一段高い敷地に、左右にある小ぶりの石灯籠の真ん中に、社殿が有る。

瓦屋根の小ぶりの一軒家のような拝殿だ。木板が古さと質素さを現している。

拝殿入り口に細いしめ縄が張られ、入り口の格子から拝殿を見れば、板張りで右手に囲炉裏とゴザがある。

奥には神殿への通路があり、神殿入り口は扉で閉じられている。

宗像神社 神殿

宗像神社

神社の後ろに回り込めば、神殿は石垣の上にあり、此処もまた古い作りである。

拝殿の右手の岩場には、複数の石の祠も祀られている。

印象は、壊れそうな古い神社で、手入れがされていない場所だ。

この神社は千々石町郷土史にも載っているが、由来等の記述はない。

ただ、弁天様と慕われていたという文があった。

立派な石の柱は明治22年とあったし、昔は弁天様を祀っていた神社だったと思われる。

弁天信仰の広がりと共に各地に弁才天を祀る社が建てられたが、神道色の強かった弁天社は、明治の神仏分離の際に多くは神社となった。ウィキペディア

弁天様はもともとインドの出身たが、七福神にも取り込まれ、富を与えてくれる女神で、人気の神様である。

港町に弁天様が祀られている地域は、無数と言えるほどあり、此処もそのひとつなんだろう。

祭神は多紀理毘賣命、多岐津比賣命、狭依毘賣命の宗像三女神として登録されている。

弁天様は二種類あり、手がいっぱいある戦闘的な弁天と琵琶を持った天女のような弁天である。

さて此処の弁天様はどんな弁天様だったのだろうか。

宗像神社

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