高天町 高天神社 高天原の意味を持つ

諫早市高天町2340番 高天神社

高天神社 一の鳥居

高天神社 途中の踏切

高天神社 参道の鉄道

高天神社

国道207号を佐賀方面に進み、線肥前長田駅と小江駅の真ん中くらいを左折しVの字に進むと、一の鳥居がある。

一の鳥居から山の方を見れば、小山の入り口に鳥居が見える。

しかし、其の距離はかなりあり、其の真中にJRの踏切があった。つまり参道を横切って鉄道が走っているのだ。

このパターンは、諫早の久山神社もそうだった。

高天神社 扁額には高皇産霊神社と書いている

髙天神社 参道の石段

髙天神社 二の鳥居

髙天神社 境内

髙天神社

髙天神社 三の鳥居

髙天神社

髙天神社 拝殿

二の鳥居をくぐり、石段を上ると平地に出る。少し進むと左右に石灯籠があり、その先の石段を上ると、更に広い公園のような平地に出る。

そこを突っ切り、突き当りの石段を登る。そこには三の鳥居があり、その先を進み石段を上ると、やっと社殿が見えた。

髙天神社

髙天神社 拝殿

髙天神社 拝殿

境内を真っ直ぐ進むと、立派な拝殿があった。

拝殿は一段高いところにあり、その石段の左右には朱色の灯籠が立てられている。その灯籠の両脇に狛犬が鎮座しているのだが、石段を上ると、さらに左右に狛犬が置かれている。

拝殿入口の上にはしめ縄と、バスケットボールほどの大きさの鈴がつけられている。

拝殿入り口は上部が木の格子でガラス戸から、拝殿内が見える。神殿の入口付近に色んなものが置かれている。普段から使っているものだろう。

髙天神社 稲荷社

髙天神社 稲荷社

稲荷社

祭神

髙天神社 神殿

拝殿左には赤い鳥居があり、稲荷社があった。

拝殿の入口を開けて見させていただいたが、稲荷様ではなく、御簾(ぎょれん)が掛けてあり、その奥には、どうも貴人らしきの像が祀られていた。

これは天神さまだろう。

高天神社の神殿も古い割に立派で、拝殿の周りには様々な自然石の碑が立てられている。

広大な敷地と威厳のある社殿の佇まいである。

沿革は他の方のHPから抜粋したものだ。

図書館で北高来郡誌を見つけ高天神社の箇所を読むのだが、大正八年の原本から復刻されていて、文語体の文章がどうも頭に入ってこず、現代語の文と見比べて、ほとんど同じなので掲載させていただいた。

沿革
1610年頃、当時の東長田村大戸尾(現在の諫早市高来町深海)の海辺の巨石(現存する)に、霊験あらたかな御神鏡が浮かび上がり、高皇産霊神と記されていたことから、諫早藩主に守護され、この地を高天宮とかまえて奉祀された。寛文5年(1665年)東長田の産土神として現在地に遷座された。神社の屋根瓦には、諫早藩(領)の御紋(昇り藤)が刻まれている。また、天照大神は皇祖神として合祀されたものと思われる。
 以降、東長田村の総鎮守として、土地守護、五穀豊穣、家内安全、無病息災、厄除けを司る神社として祀られている。また、高天神社の「高天」は、高皇産霊神が住まわれる、天津国の高天原によるものと思われる。
 天明6年(1786年)神殿を改築したが、さらに200年経って老朽化したため、昭和57年(1982年)7町の氏子が2350万円の浄財を出し、総ヒノキ造り132平方mの神殿を再建した。(神社由来書きより)

この神社は寛文5年に此処に移されたのだが、その時に天神も共に祀ったと書かれている。それ以外にも複数の神様がいたようだが、それらの由来は不明と書かれている。

という事はこの地には天神社が先にあったのだろう。

拝殿横は稲荷大明神としているが、祀られているのは菅原道真公だ。どんな事情があるかは不明だ。

御祭神:皇産霊神、天照大神

皇産霊神 『古事記』では、天地開闢において造化の三神の一柱をいう。

こんな上位の神様を祀る由来なのだが、当時の東長田村大戸尾の海辺の巨石に、霊験あらたかな御神鏡が浮かび上がり、高皇産霊神と記されていたことから、諫早藩主に守護されたとある。

どうも由来が不自然のような気がしてならない。しかし由来にケチはつけられない。

北高来郡誌には神石を見つけて、50年間塩屋の岬に祀っていたそうである。

その間、神石は霊験あらたかだったそうで、その噂を諫早藩主が聞きつけ、今の場所に移し、高天神社として建立したとある。

高天

諫早のマピオン電話帳には高天と書いて「たかてん」と書いている。神社検索サイトでは高天(こうてん)町とある。諫早市公式ホームページにも「こうてん」である。

高天神社を検索すると、静岡県掛川市の神社が出てくる。こちらは「たかてんじんじゃ」である。

高い天という文字は、高天原を連想させる。

祭神も皇産霊神(タカミムスヒノカミ)、天照大神で、皇産霊神は造化の三神の一柱で、天照よりかなり先にいた神様で、大和の根本部分を作られたとされている。

造化三神とは、高天の原(たかまのはら)に最初に成り出た独り神の三柱で、アメノミナカヌシ(天之御中主)、タカミムスヒ(高御産巣日)、カムムスヒ(神産巣日)を言います。 立正大学

ここに高天の原という文字が出てくるので、解説通り、ここから高天神社という名前が出たようだ。

拝殿左の稲荷社に貴人らしきの像が祀られている件だが、

拝殿の入口を開けて見させていただいたが、稲荷様ではなく、御簾(ぎょれん)が掛けてあり、その奥には、どうも貴人らしきの像が祀られていた。

これは天神さまだと思うのだが、記録にはなんにも書いていないし、鳥居にも稲荷大明神とある。

どういうわけかと思ったら、静岡県掛川市の高天神社(たかてんじんじゃ)の解説に、

社名については、一見すると「高天・神社」(「高天」という神社)のように見受けられるが、祭神として菅原道真を祀る天神社(天満宮)であることから「高・天神社」(「高」という天神社)と解されている。この神社の立地する山が「高天神山」、隣接していた城が「高天神城」と呼称されることから見ても、「高天」で区切るのではないことがわかる。ウィキペディア

静岡県掛川市の高天神社(たかてんじんじゃ)ウィキペディア

というのがあった。

諫早の高天神社も「高・天神社」の可能性もあるなと思った。

しかし、長崎の諫早と静岡県掛川市とのつながりは皆目不明だし、ただの偶然だろうか。高来町の神社には、意表を突く神様を祭神としている神社が多いようだ。

理由は不明だが、高来町の町名の由来の一つに島原の国津神、高来津座から来ているとか、朝鮮半島の高麗という国の名前からなどという、諸説があるからだろうか。

これに関しては今後注目していきたいと思う。

髙天神社

 

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