瑞穂 岩戸神社 縄文人が暮らしていた場所
諫早市内からバイクで40分もかからなかった。道は殆ど道なりで進め、迷うことはないだろう。
舗装された山道の右側に一の鳥居があった。そばに案内板があり、あと700メートルほど上にあるようだ。
登っていると、道脇に祠がある。立て札が立っていて役小角の石像と書かれている。その反対側に岩戸水神の水汲み場と可愛らしいイラストが書かれた看板もある。
バイクを止めていってみると、道脇に紙垂と石板があり、その奥にも祠の中に紙垂と石板だ。
その先に小川があり、きれいな水場がある。その奥には祠が二基、左側には岩戸水神と木板にしっかり書かれて掲げられている。
祠の中には、四角い顔で派手な前掛けを何枚も着せられた石像がある。
足元を見ると一本歯の下駄である。山伏の定番なのでこの像が役小角だ。
右の祠には、同じように前掛けを着せられた仏像が三体きれいに並べられている。
水もきれいだし、雰囲気もいい。
そこから更にのぼると、岩戸神社入り口につく。バイクを専用駐車場に止め、両脇が巨木の林道を歩く。
看板があり、祭神と、ここから300メートルと案内がある。
この日は日差しが強かったが、林道は比較的涼しかった。途中特別大きい巨木が3本道脇に生えていた。
更に進むと、二の鳥居がある。苔むして古色蒼然としている。
その先は左に石段があり、左上にトイレが備え付けられていた。石段を登りきると、広い境内に出た。
少し奥の中央に、屋根のついた建物があった。素通しなので神楽殿と読んでもいいのかも知れない。ここでいろんな儀式を行う場所である。
その先は、巨大な岩の洞窟があり、そこに神殿が鎮座している。
石垣で一段高く、玉垣で囲まれている。屋根の上には千木がしっかりあり、古式正しい神社だ。
左手には石灯籠が3基、拝殿部分は素通しで囲いがなく、格子で囲まれている。その奥が祭神だが、後ろに回り込むと、石垣の上に石の祠が祀られている。
これが、祭神である。右脇にも石灯籠が一基。
巨大な岩の洞窟の中に、祀られている神殿。全景を見ると、確かに古代から信仰の対象になっていたと思われる。
右手に降りていける場所があり、ここにも巨大な岩石の下に小さな洞窟が2つあり、そこにも祠が祀られている。
観光地にもなっているが、しんとして、なにもない岩の空間にある神殿はやはり神代を連想させられる。
連想した場所が、宮崎の天の岩戸であり、佐世保の泉福寺洞窟、長崎の岩屋山の鬼の足跡がある洞窟である。
よくスピリチュアルとかパワースポットとか書かれているが、私はそんなイメージはなく、古代より存在している時間を感じた。
ここは縄文時代の住居跡といわれている洞窟である。
私達の祖先がここで暮らしていたかもと思えば、色々想像してしまう。
どこで火をおこしたのかとか、何を食べていたのかと興味が尽きない。
祭神は岩永姫命、水の神、山の神、作物の神。
岩永姫命は木花咲耶姫と対象的な、永遠の命の象徴だ。文字通り、岩は女神とされていたのだ。
自然を祀る古代から現代まで変らない信仰。これは東洋人、特に日本人の根源だと感じる。
縄文と弥生
此処には縄文人が住んでいたとされいる。日本の歴史ではその後に弥生時代というのがあり、学者の人たちは大陸から弥生人がやって来たという。
本当にそうだろうか。
縄文文化の暮らしとして、中央に広場を有した集落(=環状集落)で、土器を使用し、 狩猟・採集・漁撈を生業の基盤とした生活が描かれます。 一方、弥生文化の暮らしは、 濠に囲われた集落(=環濠集落)で、水田稲作を中心とした農耕を行い、食料生産 に重きを置いた生活を営む姿で語られます。
「縄文と弥生ー時代と文化の転機を生きた人々ー」
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/8040/r01zuroku1.pdf
縄文と弥生は文化様式の違いである。人はそのままである。
よく平べったい顔は弥生人で大陸系だという。それはたまたま発掘した遺跡が平べったい顔をしたやつだったからだ。
中国大陸の人々と現代人はDNAが違うことははっきりしているし、朝鮮半島は倭人たちが暮らしていたわけだから、DNAを調べれは一目瞭然である。
だけど縄文の時代から弥生、奈良、平安、鎌倉と時代が短いスパンで移り変わるようになった。それは文化の違いで時代を分けているからで、人間が入れ替わったわけではない。
江戸時代の人間と平成の人間とでは、顔の形も変化し、身長体重も大きく変わっている。
食生活が買われば人間の骨格や体格も変化していくのは、科学的に証明済みである。
日本人の信仰
縄文の洞窟が信仰の対象になっているのは、そこが祖先の居場所だったからである。
はるか古代、此処に住んでいる人たちが死に、弔われ、その魂は、この地の守り神として存在している。
これは仏教ではない。神道だ。宗教ではなく神への道筋なのである。
日本人が考える神は、岩や木々、水が依代となる。
そんな馬鹿なと西洋人や他宗教の人は言うだろう。しかし日本人はそう思っているのである。
きれいで厳粛な場所として、地域の人が守っている場所である。
みんなに訪れてみてほしい場所でもある。