国見 岩下神社 埴安姫命を祀る

国見町土黒庚1658番地 岩下神社

岩下神社

岩下神社

烏兎神社を参拝していると、左側に鳥居があるのに気づく。道に出て回り込むと、扁額に岩下神社と書かれた鳥居があり、別の神社があることに気づく。

四角い石版を敷いて通路にしていて、右手に石灯籠もある。

今回驚いたのが、烏兎神社と同じ鳥居のしめ縄が独特なことだった。

まさに、のれん型のしめ縄だ。

しめ縄は稲わらで編まれていて、稲妻型の紙垂(しで)と垂れ下がった注連の子(しめのこ)が交互にあるのが定番だが、各地それぞれ個性がある。

烏兎神社のしめ縄

烏兎神社、岩下神社は、縄部がなく竹で藁を挟んで吊るしている形だった。

私は初めて見た。近くの岩戸神社でも見ていない。恐らく此処だけだと思う。

ネットでしめ飾り研究家の方のHPがあった。

しめかざりの主な形5種類
「牛蒡(ごぼう)じめ」系 「大根じめ」系 「玉飾り」系 「輪飾り」系 「前垂れ」系
https://www.jalan.net/news/article/522425/

ただ、そこには「前垂れ」系がどの地方に多いのか書いてはいなかった。

そういえば、道路を走っていると、細いしめ縄が頭上にかかっていたことを思い出した。

これは、邪悪なものが入って来ないようにしたしめ縄だ。

これは「道切り」という。「道切り」とは、村に悪霊などが入ってこないように、縄を張り、 或いは、境を守る標を村の境に置く事を云う。
http://simenawa.org/mitikiri.html

前垂れのしめ縄も、道切りの習俗も、どこの地方だと指定するのは無理のようだが、古代の習慣が残っている地方に多いみたいである。

社殿

社殿は木製で小さい。拝殿の中は狭く、神棚だけのようで、裏手に回ってみると、崖の上に石の祠の中に仏像が祀られていた。

これが御神体かと思う。

郷土誌に記述があったので下記に掲載する。

祭 神 埴安姫命
祭儀 11月15日例祭
社 殿 本殿 (流造) 境内地 12坪
由 緒
現在は烏兎神社境内地に祀られてあるが、大正四年この地にうつされたものである。 それ以前は、魚洗川部落の南鳥甲山の東側に切り立った岩山があるが、その岩窟の中に石仏観音像を安置してあった。

明治二年巳巳年これを改め幣帛をもって御神体となすと伝えられている。この神社の勧請年等は不詳であるが、大宝年間頃から祀られてあったと口伝がある。本神社の例祭はもともと旧暦の三月一八日であって、その日は郡内各地からの参拝者が多かった。

祭神の埴安姫神(はにやすひめのかみ)は珍しい。この神様はヒコとヒメがいる。

田畠の土の神であり、陶磁器の祖神。埴安彦神と埴安姫神の総称が埴安神。あるいは、埴安神を男女神に分けて埴安彦神と埴安姫神と呼ぶ。

伊邪那美神が火の迦具土神を生み、陰所を焼いて苦しみ給うたおりに屎(糞)をしたが、その屎から化生した神が、 波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神の男女の二神。波邇夜須は埴粘(はにやす)のことで粘土のこと。『日本書紀』には、伊邪那美尊が死のうとするとき、埴山媛(土神)と罔象女の二神を生み、 この二神の間に生れた稚産霊神の、頭上に蚕と桑、臍の中に五穀が生じたとある。
なお「ハニ」(埴)とは土のことである。

もともと、岩窟の中に石仏観音像だったようで、これが埴安姫神だったようだ。

岩下神社裏の崖上の祠

郷土史の写真

岩下神社 埴安姫命?

岩下神社

岩下神社

国見 岩下神社

大宝年間頃から祀られてあったとあるが、大宝とは飛鳥時代の701年から704年までをいう。

だとすれば、恐ろしく古い。

烏兎神社の祭神は武甕槌命・経津主命・大山祇命 。

岩戸神社は岩永姫命、水波之売神、大山祇神。

そしてここの神社は埴安姫命。

まさに古事記の世界である。さらに雲仙岳の祭神は四面宮。

古代、雲仙岳には、一つの集合体があったのは間違いないようだ。

岩下神社は、小さな神社だが、その存在は貴重である。

隣は烏兎神社

 

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