有家温泉神社 キリシタンによる寺社破壊

 

長崎県南島原市有家町山川1277 

有家温泉神社

有家温泉神社

有家温泉神社 お堀

有家温泉神社

有家温泉神社 山門

随神

有家は「ありえ」と読む。

神社明細帳(明治八年編)は「貞観三年(八六一)九月建立、寛永十四年(一六三七)、キリスト教の乱に社殿旧記悉く焼失」と記述しているが天正八年(一五八〇)領主有馬晴信のキリシタン改宗政策により仏教破壊の指令に基づき仏教関係の破壊投棄が行われ、古来からの修験道の歴史はこの時一端断絶した。

 島原の乱終結後、寛永十五年三月再建され四面大明神として修験道も復活し金剛院の併置となった。明治三年三月神仏分離の政策により再び仏教は分離され神社一元化となり温泉神社と改称された。

有家町教育委員会 現地案内文より

 

神仏分離となっているが、入り口には立派な山門があり、隋神(かんながら)も右大臣、左大臣といて、明らかにお寺仕様だ。

有馬晴信のキリスト教への改宗に伴いキリシタンによる寺社破壊が行われここ四面宮も破却とある。

その時に金剛院の石塔も破壊されたようだ。その後出土した石塔群は約300基分が確認されている。

1637年、キリスト教の乱に社殿旧記悉く焼失

大きい神社なので、キリスト教信者に目をつけられたようだ。

古来からの修験道の歴史はこの時一端断絶した。

島原の乱終結後、寛永十五年三月再建され四面大明神として修験道も復活し金剛院の併置している。

 

有家温泉神社

有家温泉神社

有家温泉神社

有家温泉神社 神殿

金剛院の石塔

それにしてもキリスト教は凄まじい。

長崎の神社仏閣を巡ると、それを強く感じる。

様々な歴史と文化を破壊している。

しかし、現在のキリスト教関係の方からのお詫びは一度も聞いたことがない。

それも、私にとっては謎である。

有家温泉神社

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