長崎県庁(2)
江戸幕府の天領から長崎県になった長崎は、結構いろんな事件に出会っている。
1886年(明治19年)8月1日には長崎事件が起こった。
詳しくは私のまとめたHPをご参考に
この事件は中国人による長崎市内の暴動騒ぎである。
海外絡みで言えば、ロシアの皇太子ニコライ2世が長崎に来たことがある。
この時の記録は多くの写真などで記録に残っている。
ニコライ皇太子は、長崎、鹿児島、神戸、京都、大阪、奈良、横浜、東京、鎌倉、熱海、日光、仙台、松島、盛岡、青森と日本を縦断し、5月31日に離日する予定だったのだが、滋賀県巡査の津田三蔵に斬りつけられ、頭部を負傷させられたという大津事件(湖南事件)が起こってしまった。
長崎の稲佐には国際墓地が有り、ロシア人の墓もある。天領時代に引き続き外国との関係が深かったのたである。
戦争時代には、長崎の三菱造船所で戦艦武蔵が作られたことは有名だ。
そして、原爆投下と終戦。
他県と比べて、なんと大変な事が多かったことかと思う。
そんな長崎県を切り盛りしていくのは大変だと思うが、これからも頑張ってほしい。
さて、とりあえずは褒めたが、県庁や市役所は、長崎の縁の下の力持ちであるべきで主役ではない。
最近の国政でも不祥事が多いのは役人である。特徴的なことは高学歴の役人がいろんなバカなことを起こしているという事実である。
これは高学歴の役人が、すべて人格者ではないということだ。
どちらかというと、劣等感と優越感が普通の人より多いのが特徴で、人の上に立たないほうが良い人種である。
そんな人達が、立派すぎる県庁庁舎を半ば強引に作った事に、長崎県民が大賛成しているわけがない。
その事は、長崎県民があの県庁を見るたびに思ってしまうだろう。
外見だが、正直言って美しいとは思えない。
遠くから見ると、割り箸を積み上げて作った様に見えてしまう。
なんとなく、おしゃれそうなのはわかるのだが、私の趣味ではない。
この表札わかりにくい。木の表札に墨で大きく書いて欲しい。
室内は広く空間が多い。県庁ってこんな広いロビーが必要なんだろうか。
エレベーターで8回まで行くと展望ロビーが有り、市民に開放されている。ここからの眺望は素晴らしい。
いっその事、県庁の半分を市民に開放するっていう手もあるぞ。
食堂は2階だ。食券を買って注文するのだが、長崎のテレビやミニコミが褒めそやすほど美味しくない。
当たり前である。役所の食堂である。味を褒めそやすほどの事ではない。
ただ一つ私が良いと思ったのが、喫煙ルームが多くあることだ。
日本国は禁煙ブームだが、県庁の職員に多く喫煙者がいるという事である。
私も喫煙者なのでここは文句はない。
まあ、新舎は長崎県民の税金で作られており、役人は公僕だということを忘れてほしくないと願うのみである。