11月に入ると紅葉が気になり始める。長崎にも紅葉の名所は多いが、近所の神社や公園にもきれいな紅葉は多い。

淵神社

淵という名前の村は神ノ島から竹の久保地区を含む大きな地域名である。そして淵村の鎮守の社が淵神社ということになる。

祭神
田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命(宗像三女神)を主祭神とし、相殿に天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神・菅原大神・金毘羅大神を祀る
 
由緒
延命寺の開基龍宣が宝珠山万福寺を建立し、その鎮守社として弁財天を祀ったのが当社の始まりである。天文年間、キリシタンによって寺とともに社殿が焼かれ、以降再建されないままであった。寛永11年(1634年)、万福寺とともに弁財天社が再建され、淵村の総鎮守として信仰された。
 

淵神社

淵神社

淵神社の紅葉

昭和8年の「長崎市の鳥観図」

この図を見れば、現在神社の前にある場所は海だったことがわかる。
 
浦上川は、川幅がかなり広かったのである。なので昔あったとされる一の鳥居横の大石燈籠が有名で、船で参詣するときの燈台の役割も果たしていたという。
 
「長崎名勝図絵」で見れば、島のようでもあり、対岸からは船で通っていたのだろう。

長崎名勝図絵

大石燈籠

大石燈籠の説明

延命寺

淵神社は最初、宝珠山万福寺(延命寺)の鎮守社として弁財天を祀ったのが始まりである。

天文年間、キリシタンによって寺とともに社殿が焼かれ、以降再建されないままであった。

寛永11年(1634年)万福寺とともに弁財天社が再建され、明治元年(1868年)の神仏分離令に従い、弁財天という祭神を宗像三女神に改め、「淵神社」を称する神社となった。ウィキペディア

由緒にある延命寺は真言宗のお寺である。
 
その延命寺を長崎の伊良林郷の内に建てたのが龍宣和尚で、龍宣和尚は、備前国(岡山)の薬師院の従僧だったとある。
 
つまり岡山から、長崎に真言の教義を説く一寺を創建したいと願い、薬師如来像と共に長崎にやってきたのである。
 
長崎にやってきた時期は、キリシタンの取締まりが厳しい時期で、さらに長崎では疫病が流行していた。史料によると最初は長崎奉行に疑われていたのだが、精進の末、長崎奉行と深いかかわりを持つようになったという。
 
その後、4つの末寺ができる。その一つが渕神社である。
 

万福寺というのは私の家の近くにあるお寺で、昔は延命寺と言っていた。月命日にはご住職が自宅に訪れ、お経を上げてくれていて親しみのあるお寺だった。

現在は風流だった建物と庭を壊し、真っ白い要塞のようなビルに変貌し、庭は月極駐車場となってしまった。

万福寺

 

現在も月命日には来てくれるのだが、朝7時過ぎにバイクでやって来て、玄関で雪駄を脱ぎ捨て仏壇にごく短時間いて、お布施を握り疾風のように去っていく。

外で挨拶してもヘルメットも脱がないお坊さんはなんなのだろうと真剣に考えてしまった最近である。

まあいい。

弁財天時代の鳥居の石の表札

 

この淵神社のあった場所は元神宮寺の支院だったとある。神宮寺とは岩屋山神宮寺の事で、そうすれば西暦700年台に出来た神社だったことになる。

淵神社にある土俵

 

長崎でも指折りの古さである。

そこに祀られていた弁才天とは、もともとヒンドゥー教の女神で仏教や神道に取り込まれた神様である。

本家のインドや中国とは、その在り方も変わり日本独自の女神になった。

明治元年(1868年)の神仏分離令によりもともと仏教の神様である弁才天を神道の宗像三女神に改め名称も淵神社としたのである。

女神様は音楽神、福徳神、学芸神という女性らしいご利益があるのだが、財宝神や戦闘神の性格も加えられているようだ。

海辺や川などは本来恵比寿さまが多いと認識していたが弁天様も多い。

その理由は、弁才天が元来インドの河神であることが由来している。そのため平安初期から末期にかけて仏僧が日本各地で水に関する場所に祀ったようだ。

牧島の海岸に弁才天を祀る洞窟がある。それも同じ理由だろう。

牧島の弁天様

本来仏教の神様なのだが、古事記の海上神、市杵嶋姫命(宗像三女神)と混合され神様として祀られることがほとんどである。

まあ日本の神様への信仰は適当といえば適当、自由といえば自由なものである。

そこに弁才天があった理由を深掘りしても意味がないことのほうが多い。

そんな弁才天が祀られていた場所である。古代のことを想像すれば、岩屋山を本拠地とした山伏や真言宗の修行する人達がこの神社を闊歩したことだろう。

稲佐弁財天

稲佐に弁財天の神社がある。

渕神社が弁天神社をやめたので、稲佐に持ってきて祀ったという。

稲佐の弁財天の由来(長崎市曙町)
 
寛永の昔、現在の淵神社の処に弁財天を祀る御堂があり、その地が旧稲佐村内であったところから、俗に「稲佐の弁天さん」と称していた。
 
明治22年(1889)村内有志発起して再び稲佐村に弁財天奉仕の議を起こし、翌23年この地に弁財天、二体を延命寺より迎え、村内にて資材を寄進し、稲佐万六氏社(旧稲佐村氏神)を改修し、稲佐氏並びに弁財天を合祀した。
 

稲佐弁財天

 
 

渕神社の神紋

 
淵神社

拝殿

現在の神社の正面に右巴の紋が架けられている。調べてみると藤原氏の流れをくむ足利氏の一族の佐野氏の紋となっている。

佐野氏は平安時代末期から江戸時代初期にかけて下野国を中心に栄えた一族である。長崎とは縁が遠いので変だなと思った。

しかも淵神社の右巴の紋には小さな穴が空いている。こんな紋は紋一覧にも載っていない。まあ巴の紋はよく使われている紋なのでここからこの由来を決定するのは早計だろう。

ただ気になる点がある。

巴の紋の丸の部分に穴が空いている事だ。この形は勾玉の形である。(仮称)山口広助のブログにも珍しい紋として「勾玉右三巴(まがたまみぎみつどもえ)」かなと言っている。

淵神社の紋は中国の陰陽勾玉巴(いんようまがたまともえ)という太極図とよく似ている。

陰陽勾玉巴

 

しかし陰陽勾玉巴は2つの勾玉、淵神社は3つである。

となれば淵神社は中国関係者が関係があるのかもしれない。または勾玉のアレンジとも言える。

これは謎である。

・・・

2つ有名なもの

この神社は由緒ある古さ以外に2つ有名なことがある。

一つは稲佐山頂上につながっているロープウェイの乗り場があること。

ロープウェイ

 

そしてキリシタン大名である大友宗麟の孫娘阿西御前を祀った桑姫社があることである。

桑姫社

 

桑姫という名前は長崎の地元民に桑の栽培や機織の技術・行儀作法を教えたことによる命名だと言われている。

そして一番驚くのはこの桑姫がキリシタンであるということである。

キリシタンを祀った神社は日本に3つありその2つが長崎にある。そしてその一つが桑姫神社なのだ。

お参りに行くとマリア様の像が置いてあった。

マリア像

 

何という日本の信仰の奥行きの深さだろうか。それは驚きもするが感心もする。

たぶん祀られているマリア様のほうがびっくりしているような気がする。

十二社

裏手の坂を上ると十二支を祭った、社が6つある。

十二支を祀る社

十二支を祀る社

十二支は中国に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつ占いの道具である。
 
現代でも、年賀状の図案に必ず登場するし、江戸時代の時間のはかり方も、知識として知っている人もいる。
 
まあ、この十二支を祀るというのも、神道や仏教以外の民間宗教である。
 
渕神社が庶民派で、すべてのものを祀るという姿勢の表れだろう。
 
目くじら立てる事でもない。
 
ああ、それともう一つ。
 

福山雅治が通っていた宝珠幼稚園も本殿前にある。今だったらその事のほうが話題になっているらしい。

左が幼稚園の運動場、右が園

福山

 

まーいいか。


 

2020/6/21 改題と加筆