巨岩信仰の立岩神社
稲佐山と岩屋山の間に立岩町がある。
そこにあるのが立岩神社である。町中にあり、下は公園になっている。
立岩という名前は、立岩神社の背後にある権現山の巨岩(高さ9メ-トル~12メートル)があり、この岩を立岩と呼び町名の由来になったと言われている。
それ以前では立岩一帯の山を神根山(かんねやま)と呼んでいたとある。そして、この辺り一帯を寺野郷と言っていた。正確に言えば天領浦上淵村寺野郷である。大正時代に城山町2丁目になったのだが、昭和41年に立岩町という町名で独立した。
立岩権現「神功皇后の遺跡」
この岩には、その昔、神功皇后が朝鮮征伐の途中この地に立ち寄り、家来の武内宿禰(たけのうちすくね)に「この岩の上に登って国見せよ」と命じた霊地との伝説がある。
この神社は、キリシタンが盛んだった時期、キリシタンによって破壊されたが江戸時代に再建されている。また、原爆や火災にあっており、その後、現在のコンクリートの社殿が建てられている。
実際に行ってみるとコンクリートの社殿があり、神社という趣はない。隣に赤い鳥居の天満宮があり、この敷地に同居している。
言い伝えにある神功皇后と武内宿禰だが、この伝説はいたる所にある。
立岩神社の奥宮は権現山の奇岩にあるので、昔からある巨石信仰に、神功皇后伝説が付けられたと思う。
特別な由緒がある神社ではないのだが、村の鎮守の神様としてこの地域の人口が増えていった時に定着したのだろう。
現在でも例祭は、毎年10月に行われていて「ふるさとまつり」を開催しており、子供たる神輿、子供すもう、民踊などが奉納されているという。
昔は神社が村の中心だった。今で言う公民館的な役目があり、コミニュケーションの場所だった。
信仰の場所というより、いろんな情報交換する場所として機能していたと言われている。
なので今でも神社が残っていて、まつりが行われているという事は、この地域が平和な場所だったという証なのである。
境内には石碑や石灯籠もあり、皇紀二千六百年記念碑もある。これらを見ても、立岩神社が地元に密着していた事がよくわかる。
ただ一つ思うのは、コンクリートの拝殿は、あまりにも無味乾燥である。
いつかちゃんとした体裁の神社に生まれ変わって欲しいと思う。