銭座天満神社
銭座と名前がついているが、ある場所は天神町である。
1639年創建とされている。天満神社なので祭神は当然、菅原道真公である。
この神社の前身は松月庵という大師堂だったという。大師堂なのでお大師さん、つまり弘法大師であり仏教だ。
実は銭座天満神社が建てられた理由は、対キリスト教のためである。
旧浦上街道の通りにあり、海岸線もこの近くで風光明媚な場所だったというので、対キリスト教のために新築したというより、もともと神仏の祠があったと思う。
現在の天満神社には、赤い鳥居の岩倉稲荷大明神も祀られている。
岩倉稲荷は食べ物の神様で、別名ウカノミタマともいう。岩倉稲荷大明神は英彦山の登山道にもあり、ここに存在してている歴史は古いと思われる。
なので最初はこの稲荷があって、その後太子堂が出来、その後に銭座天満神社が作られたのではないかと推測している。
しかし明治になり神仏混淆を禁止したため天満宮となっている。
こんな例は長崎市内にもたくさんあるので、神社の由来を祭神で深読みすると、わけがわからなくなってしまうので要注意だ。
この神社が天満宮になった必然はなく、当時人気のあった菅原道真公を引っ張ってきたのだと思う。
大事な事は、この場所が旧浦上街道の道沿いにあり、みんながこの神社を拝んでいたことにある。
昔の旅は徒歩である。そして何があるかわからない。
そうした時に街道沿いに神仏の祠があれば、なんとなく安心なことはわかる。
鳥居があり、祠があれば、どんな神様を祀っているのか、まず問題にしないだろう。
それが民間信仰であり、その屈託の無さが日本の宗教なのである。
天神町
天神町という町名は新しく、昭和39年につけられており、それ以前は馬込郷であり、その一部が銭座町になり、更にその一部が天神町となった。
なので銭座天満神社は馬込天満神社ともいう。
馬込という地名の由来は載っていないが、駒込(こまごめ)、牛込(うしごめ)という地名は牧場のあった場所である。
旧浦上街道を馬が往来していたのかもしれないと思う。