大須神社

ロシア領事館の歴史案内板が立てられている

小曽根町のロシア領事館の歴史案内板が立てられている前にこの神社がある。地図を頼りに探したのだが、この神社が小さな祠と鳥居だけで風景に溶け込んでおり、なかなか探せなかった。

大きく立派な鳥居の脇には小曽根町公民館がくっつくように建てられている。多分昔は、敷地がもっと広かったと思われるが、公民館を建てるために、脇に追いやられたのだろう。

大須神社

大きな石の鳥居には大正4年という文字が掘られている。

大正4年は1915年である。大正3年に浦上天主堂献堂式、大正4年には浦上~築町間に路面電車開通されている。大正は大正デモクラシーという言葉が有名で、2度に及ぶ護憲運動が起こり、自由と開放の時代である。寿屋(現サントリー)の日本初のヌード広告もこの時代に発表されているくらい世の中の雰囲気はイケイケの風潮だったのだ。

日本初のヌード広告

長崎も、明治時代の日清・日露の戦勝で勢いづいており、様々な開発が進んでいったのだ。

小曽根町という町名だが、元々戸町村の堀ノ内と呼ばれる海岸だったのを、越前藩(福井県)の貿易用埠頭として、小曽根氏という豪商が埋め立て事に由来する。

大須神社だが、愛知県名古屋にある大須(おおす)観音から来ていると思われる。

大須(おおす)観音

大須(おおす)観音は当然お寺であり、日本三大観音の1つとして有名で七福神の一である布袋像を安置している。

長崎の大須神社の祠の中にも布袋像が祀られているので間違いないだろう。

安置されている布袋像

たぶん昔はお寺があったと思われるが、明治時代初期の廃仏毀釈運動により、神社に変わったのだろう。

神社脇の階段に仏像の祠があるのは、寺だった名残だと思われる。

大須神社下の石仏

長崎の神社の由来は、地域に根ざしているものより、その場所を開発したり移住してきた人たちの信仰を、そのままその地に持ってきたものが多い。

なので、よく調べないと、なぜこの地にこんな神社があるのかとわからなくなってしまうのだ。やはり長崎は、いろんな地域から人々が集まる、ごちゃまぜの町だったということが良く分かる。

大須神社から長崎港を見る