東琴平の伊都岐島神社・金刀比羅神社
長崎でこんぴらさんと言えば、立山公園の先にある神社が有名だが、他にもたくさんある。
今回行ったのは東琴平町にある伊都岐島神社・金刀比羅神社である。
2つの神社名が一箇所に同列で祀られているのは珍しい。
さらに本殿の両脇に豊金稲荷、福徳恵比寿神社という名前の祠が建っている。
豊金稲荷は名古屋市の株式会社テイサクさんの敷地内にある稲荷社で、福徳恵比寿神社は、岐阜県中津川市にある出雲福徳神社に名前が似ている。
ともに、何故この地にある由来が不明である。推測するに裕福な方が、寄進した神社かなと思う。
いろんな神様が祀られているが、この地域にあった神様を寄せ集めた感が否めない。
しかしこんな場所はたくさんあり、古の由来がある神社のほうが少ないだろう。
信仰は庶民のものであり、庶民が育てていくものだからだ。
300年祭記念
社殿は頑丈で新しく、銅板の碑がある。内容は300年祭記念となっている。
単純に考えれば300年前にこの神社は作られたということになる。
日本で西暦1700年と言えば江戸時代で、将軍は生類憐みの令で有名な徳川綱吉である。
長崎歴史を見れば、1689年唐人屋敷完成、1715年長崎貿易新令(海舶互市新例 かいはくごししんれい)を発布し、輸入を制限している。
日本は鎖国中であったが、オランダと清とだけは長崎で貿易できた。
その貿易で、支払いの為日本の金銀の大量流出が問題として、新井白石が貿易制限を提案し、長崎貿易新令が出される。
結局、この政令の意図は、貿易の抑制によって前将軍綱吉時代の放漫な財政と奢侈な風潮を引き締め、抑商・農本主義路線であると言われている。
想像すれば、貿易の抑制を試みるほど長崎の貿易は絶好調で、この神社の真下にある長崎港では唐船が大量に浮かんでいたのだろう。
となれば、長崎の商人たちはお金をたくさん持っていたわけで、たくさんの神社を、この辺の地区に作ったと思う。
それらをある時期にまとめたのではないかと推測される。
伊都岐島と金刀比羅
なので、いろんな神様がいるんだろう。
伊都岐島とは、宗像三女神の市寸島比売命(いちきしまひめ)の事で、長崎市内にもかなりある。
有名なのは淵神社だろう。
金刀比羅さんを祀る神社も多く、共に海の神様である。
クンビーラ(金刀比羅)は元来、ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神で、特に舟乗りから信仰され、一般に大きな港を見下ろす山の上で金毘羅宮、金毘羅権現社が全国各地に建てられ、金毘羅権現として祀られている。
なので金刀比羅さんは海の見える山の上に建てられる。
この立地を見れば納得である。
そしてこの地域は琴平町という。つまり「こんぴら様」の土地なのである。
現在は、広い敷地に駐車されている車が散在しているだけだが、いつかまた信仰の火が大きく灯ればと思う。