おくんち 諏訪神社の御神体の一つ 森崎神社はキリシタン鎮魂?
中日8日に御旅所に出向き、お賽銭を上げる。
御旅所には3体の神輿が祀られているのは、皆さんご承知のことだ。
では、なぜ3体の神輿があるのか。
諏訪神社のホームページにはこう書いている。
長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。
間違いではないが、説明不十分である。
諏訪神社が作られた理由は、対キリスト教の国策である。
初代宮司、青木賢清という人物は松浦一族の唐津の山伏であった。この人物を長崎奉行や長崎代官が担ぎ出した。
まあ、キリスト教の猛威を恐れ、近所では宮司をやる人物がいなかったからと思われる。
松浦一族とは松浦党という名の有名な水軍である。そんな強面の一族をバックにする青木賢清でなければ、長崎で宮司をする気にならなかっただろうと思う。
青木賢清はキリシタンから「天狗」つまり「悪魔」とののしられていた。社殿の建設にあたりキリシタン教徒の妨害がひどかったが、人夫(建設従事者)を大村から招くなど苦心の末、一宇(一棟)の小社を建立した。ウィキペディア
この宮司が円山(現在は松の森天満宮の鎮座地)に三社を再興し、長崎の産土神としたのである。
諏訪・森崎・住吉の三神だが、諏訪、住吉の神様は超有名であるが、森崎という神様は不明である。
この森崎神社は、キリスト教でなくなった人たちを祀っていたのではないかと噂されている。
越中哲也(えっちゅう・てつや)教授は、森崎の地にあった「被昇天のサンタマリア教会」が破壊され、その跡地に建てられた祠(ほこら)であった、とする注目すべき説を唱えている。
昭和57年に諏訪神社御鎮座三百六十年の社殿改修で本殿の遷座祭(せんざさい)が行われたとき、御船台におさめられた森崎神社の御霊代(みたましろ=御神体)は、諏訪・住吉両社とは異なって、「宮司一人では持ち上げられないほど大きく、重かった」とある。
何を祀っていたのかも謎だが、憶測すればキリスト像だったのかも知れない。
古来より、日本では祟りを起こすかも知れないと思われる人物を、神として祀る習わしがある。
天神さまもそうだし、平将門の神田明神も有名である。
そして、諏訪神社の宮司は、山伏出身である。
呪いの力を信じていたとも思われる。
なので、森崎神社の祭神が伊邪那岐神、伊邪那美神となっているのも、イエスとマリア様でないのかなと勘ぐってしまうのだ。
そんな妄想を思いながら、賽銭を投げ入れた。
まあ、日本人にとって神様というのは、信仰を超えた祈りだからである。
深く考えなくてもいいのかな・・、そう思うのである。