諏訪神社にある神社 玉園山の由来に迫る
玉園神社は、諏訪神社の本殿の右手にある。
この右手の地は、いろんな神社が集まっていて、この場所は、古代より様々な祠があり、信仰の地だったことがわかる。
玉園神社の名称は、この場所が玉園山と呼ばれていたからである。
諏訪神社も、最初は「玉園山神宮寺」という山号・寺号だったので、神仏習合の神宮寺だったのだ。しかし、1581年、キリシタン宗徒が玉園山神宮寺を焼いてしまう。その後に諏訪神社は新たに建てられたのである。
玉園神社の名前
諏訪神社は、現在の番地では、上西山町である。
玉園町は、その西側にある。聖福寺のある地域で、山手は立山だ。 玉園町は、戦後昭和38年にできた町なので、玉園神社とは関係がない。
ちなみに、昔筑後の人達が長崎に移り住んだので、筑後町と言っていたが、町が大きくなると、上下に分かれ、上筑後町は玉園町になり、下筑後町は下がとれて筑後町になっている。
それならば、諏訪神社のあった地域をなぜ玉園山といったのだろうか。
昔は、諏訪神社がある地域は、西山郷だった。現在、玉園山という表記はないが、昔はそう呼んだのだろう。
玉園山の由来を考える
園という字の意味は、「果樹・野菜・草・花を植えた一区画の土地」だ。
丸山の上手に、梅園神社があるが、この神社の境内には、名前の通り梅がたくさんある。
となれば、玉園山も、なんかの植物を植えた園だったと思われる。
玉のような果物か植物・・なんだろう。リンゴやミカンも丸いが、さすがに玉とは言わないだろう。
うーん。行き詰ってしまう。
それでは違う角度から。
仏教には宝珠という「意のままに願いをかなえる宝」があるという。
宝珠は、仏教においては仏や仏の教えの象徴とされるもので、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、如意輪観音などの仏の持ち物で、三昧耶形とされています。
長崎の渕神社にもある。
また、五輪塔というのがある。
前に県庁の岬に、五輪塔の石片が発掘されたので、長崎の岬は墓地だったのではないかという推論を書いたこともある。
長崎の岬は墓地だった
https://artworks-inter.net/2020/01/19/長崎の岬は墓地だった/
宝珠は丸いし、珠(玉)である。五輪塔にも玉がある。
諏訪神社も、最初は神宮寺というお寺だった。この玉園山は、古代より信仰の地だったので、神社が集まっているとも書いた。
となれば、玉園山という名前の由来は、園の中に、昔作られた宝珠や五輪塔があったからではないだろうか。
そして、決め手は、玉園神社の拝殿の奥にも、宝珠の幕があるのだ。
稲荷神社の鳥居の前には、キツネがいる。
この狐がくわえている物は、玉である。一般的に言えば稲穂、巻物、鍵、玉の4種類である。
そして「玉は稲荷神の霊徳の象徴」だと、有名な伏見稲荷大社で言い伝えられているという。
多分これである。
玉園という名前から、稲荷信仰が起き、神社が建てられた・・
いや言い切るのは早計だし、記録もないし、言い伝えもないので、すべて僕の妄想である。
もうしわけない。いつもの事である。
社殿はしっかりとしていて、蛙岩があり、こじんまりしている割には、立派な神社である。
その割に、由来書がないのは、由来がないせいだと思った。
しかし、稲荷神社には、もともと由来のないものが多い。
それは、人が生活していく為に、作られた信仰の場所だからである。