島原味噌五郎まつり

長崎に「みそ五郎」という巨人伝説が複数ある。
 
場所でいえば、長崎市街から離れた場所で、福田町、出津町、南島原である。
 
話の内容はよく似ていて、大男、力もち、おとなしいという事が昔話となり、地域の山や島は、この巨人のふるまいによって出来たり、名前が付けられたというエピソードである。
 
長崎市福田町
 
昔、長崎の福田町に、みそ五郎と呼ばれるとても力の強い巨人が住んでいました。ある日の事、福田の小江の浜で沢山の貝を拾いました。片方のカゴに貝をいれて、片方のカゴには大きな石を入れて、バランスを保ちながら運んでいました。
やがてみそ五郎が、大平の山のふもとまでやって来ました。ちょっと疲れたので、かごに入れていた大きな石を捨てることにしました。
大きな石をポイと投げ捨てると、山のまん中あたりに石が突き刺さりました。いまでもこの石が残っていて、大平の人々はみそ五郎の怪力を語り伝えているそうです。
 
長崎市出津町
 
みそ五郎が上(大瀬戸地方)の方から、大城と小城の二つの山をオーコ(竿)でかついで歩いてきたが、疲れたので村の人々に味噌をねだった。村の人々がこれを断ったので、二つの山を峠に放り出してしまった。これが今県立公園になっている峠の頂上の大城公園で下に転がり落ちて島のようになっているのが小城、「竿ばな」という釣りの名所であるつながった岩はオーコだという。
 
南島原
 
昔むかし、高岩山に大きな男が住んでおった。この大男、人が良く、力持ちで誰からも好かれた。
味噌五郎やんは畑仕事をしたり、山を切り開いたりして、百姓から味噌を分けて貰っておった。とにかく味噌が大好きで一日に4斗もなめるもので、「味噌五郎やん」と呼んでおったげな。
朝起きて雲仙岳に腰を下ろし、有明海で顔を洗い、高岩山の八間石に足を乗せて、天草の山々や有明海や、八代の海を眺めて楽しんだ。
 
 
みそ五郎どん石
 
有喜街道の追分から来た街道と、有喜村から来た街道が出会うところ、此処は横山頭追分と呼ばれる。追分から唐比に200mほど進んだ処に有る、みそ五郎どん岩。
 

みそ五郎は隼人族

長崎のみそ五郎は隼人族の伝説だ! アートワークス

隼人舞

実は2016年に、調べて「時間探偵」というブログに書いたことがある。
 
大人弥五郎(おおひとやごろう)という南九州の伝説上の巨人がいた。南九州各地に山や湖をつくったとされ,伝説にちなむ地名がのこっている。 隼人族悲運の主人公。南九州には多くの弥五郎説話がある。ウィキペディア
 
大人弥五郎(おおひとやごろう)とは、南九州に住んでいた隼人族の事であるらしい。奈良時代の720年(養老4年)に勃発した「隼人の反乱」の際、律令政府に対抗した隼人側の統率者であったとする説が最も広まっている。
 

おおすみ弥五郎伝説の里

隼人

隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に居住した人々で、日本国の最初の天皇、神武と共に大和地方に東進した一族で、勇猛果敢な事で知られている。
 
しかし、大和朝廷が安定してくると、日本の風俗と言葉も違う隼人族は朝廷から疎まれ、それで720年「隼人の反乱」を起こしている。
 
その首領が大人弥五郎(おおひとやごろう)というのだ。
 
長崎のみそ五郎と大人弥五郎
 
長崎に残る「みそ五郎」と伝説も似ているし、名前の五郎も同じである。
 
大人弥五郎の大人という名がが巨人という事になり、弥五郎の弥が「はなはだ、非常に、の意を表す」という事で未曾有(みぞう)の五郎と変化していったと推測できる。
 
巨人で、未曾有(みぞう)の五郎という訳だ。
 
それではなぜ長崎の周辺にその伝説が残っているかという事になる。
 

デウス

福田町、出津町、南島原の共通点とは何だろうか。
 
大人弥五郎が隼人の反乱の首領という事なので、基本的には反乱分子である。
 
そう考えると、出津町、南島原は共によく知られたキリシタンの里という共通項がある。
 
福田町はどうかと言えば、長崎がキリシタンまみれになる前に、1565年(永禄8)福田浦にポルトガル船がやってきて、キリシタンの布教を始めている。
 
しかし、その6年後長崎港にポルトガル船は移っていく経緯がある。
 
短い期間だが、福田港を中心として、式見、柿泊、手熊もキリシタン信者が増えたという記録が残っている。
 
また、福田は長崎港と近く、同じキリシタン地域と言ってもよい。
 
と考えれば、キリシタン信者が多くいた地域に、みそ五郎伝説はあると言っていい。
 
だが、キリシタン信者とみそ五郎伝説は、いまいちピンとこない。
 
しかし、キリシタン信者にはデウスという言葉がある。
 
考察を巡らせば、フランシスコ・ザビエルは来日前、日本人のヤジロウとの問答を通してキリスト教の「Deusデウス」を日本語に訳す場合、大日如来に由来する「大日」(だいにち)を用いるのがふさわしいと考えたという話がある。
 
キリスト教の教えで、神は天地創造をしたという教えがある。
 
長崎に残っているみそ五郎伝説は、山や島を作ったりしている。
 
となれば天地創造をした「だいにち」の存在が、巨人みそ五郎になったとも考えられる。
 

生月島の南端にある祠に祀られているタンジク(地獄)様のお掛絵。中央がジゴクの弥市兵衛、右がマリヤ、左がその子のジュアンといわれている 隠れていない、キリシタンでもない――今も長崎に暮らす「カクレキリシタン」とは?​ | カドブン (kadobun.jp)

隼人

もう一つの可能性は伝説の元になった隼人が長崎にいたという事である。
 
肥前国風土記によると、五島列島にも隼人に似た人々がいたと書いている。
 
「この嶋の白水郎は、容貌隼人に似たり。つねに騎射するを好む。その言語は俗人に異なれり」
 
肥前国風土記は奈良時代初期に書かれたとされている。
 

肥前国風土記

さらに土蜘蛛がいたとも書かれている。
 
とすれば、キリスト教が日本にやってくるかなり前から、みそ五郎伝説があったとすれば、長崎の僻地に、隼人族が住んでいたかもしれないのだ。
 
隼人の痕跡は長崎に見つからないのだが、五島にいたとすれば長崎に住んでいたかもしれない。
 
隠れ里の隼人集団の伝説がみそ五郎伝説になったのかもしれないとも思う。
 
さてどちらの説も一理あると思えるのだが、決定的な証拠がないので、ただの推理しかならないのが残念である。
 
ただ、長崎に巨人伝説がある事に関して、必ず理由があるはずだ。
 
もう少し調べてみたい。