伊王島 白鬚神社
伊王島町は沖之島と伊王島の2つの島で構成されている。香焼側にあるのが沖之島で香焼の沖にあるので沖之島という。
白鬚神社は伊王島側にあり、港が見える唐船岳という低い山の麓に有る。
白髭神社の由来は、佐賀の鍋島藩が、外国船舶の入出港を取り締まるため番所を設置し、その時、白髭神社が建立されたという。
長崎が天領になってからずっと、長崎港は佐賀藩から護衛されていたのである。
祭神は武内宿禰(たけのうちのすくね)である。
神社の場所は、俊寛僧都の墓碑を祀った公園を下ったところにあった。正しい参拝は下部の道からである。
俊寛は平安時代後期の真言宗の僧で、平家打倒の密儀を企てたとして、鬼界ヶ島に流されたと、平家物語に書かれている。
ただ、鬼界ヶ島がどこなのかは諸説があり、鹿児島県の硫黄島と鹿児島県大島郡喜界町の喜界島、そして長崎の伊王島に俊寛の墓がある。この墓は1756年、天龍法師と長崎の儒学者である勝木枕山と共にこの墓を立てたという。
公式には鹿児島県の硫黄島に共謀とされる3人が流されたとあるのだが、平清盛の弟の平教盛が、可愛そうなので鹿児島ではなく長崎の伊王島に匿い、嘘の報告を都にしたと言われている。
うーん。本当だろうか。
真偽は不明だが、長崎の伊王島が流刑の地にふさわしい未開の場所だったということだけはわかる。
佐賀藩の深堀氏が、長崎警備をしたのは秀吉の時代からである。
その時代に、白鬚神社が建てられたというが、神社には、それ以外にも八坂神社の祠や稲荷神社の祠もあり、かなり昔からこの場所は神域とされていたのだろう。
祭神の武内宿禰は5代の天皇に仕えたという超人で、神功皇后と共に三韓征伐を行ったとされる豪族の祖である。
深堀氏が武内宿禰を伊王島の氏神にしたのはなんとなくわかる。
しかし全国にある白鬚神社の滋賀の総本社の祭神は猿田彦命である。
白鬚神社の斜め上には八坂神社の祠が有る。
八坂神社の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)だ。
白鬚神社の白鬚は、モジャモジャとした髭面の武人のことを指すので、猿田彦にはこだわらず、強そうな武内宿禰と素戔嗚を祀ったのだろう。
そして、いちばん上の場所には稲荷の祠が有る。
たぶん、深堀氏が伊王島に来る前には、村民の氏神は稲荷だったと思う。
毎年10~11月には神送りと神迎えの行事(伊王くんち)が今でも行なわれていると言う。
建物は神社らしくないけど、拝殿の入り口が壁側にあるので平入りという様式で大社系(出雲大社等)である。
近年の伊王島観光開発で建てられた、国籍不明のオレンジ色の建物だけが目立つのが、どこか空回りしている感がぬぐえず、今後の開発に期待したい。