川平 八幡宮 川平住吉神社かも
場所は長崎市川平町。浦上川の支流、川平川周辺にある。通りの向かいには川平小学校がある。
この小学校は令和2年3月31日をもって閉校となっている。
歴史を見れば明治10年に創立され、その後西浦上小学校川平分校と改称を繰り返し、昭和30年に川平小学校として独立開校。
昭和61年、市内最初のオープンスペースの校舎として現在地に移転し、平成30年度は、児童数31名でスタートしたとある。
西暦で言えば1877年から2020年なので、なんと143年の歴史があったわけである。閉校は時代の流れでしょうがないが残念でもある。
ネットに川平八幡宮の創立が昭和四年(1929)とあった。
1929年は世界的に大不景気の時代で、1931年満州事変が起き、国際連盟を脱退、1937年日中戦争が起こっている。
記録には載っていないが、長崎が少しづつ、伸びゆく時代だったのかなと思う。
川平八幡宮を見れば、石段はしっかりしているし、社殿も古いが神社の体裁は保っている。
境内には壊れているが便所もあったようだ。
調べてもこの神社の沿革はなく、生い立ちは不明である。
昔、古い信仰があり、その場所を後年神社に建て直すというのはよくある。ここもそうかなと思う。
川平住吉神社
神社の検索サイトには川平八幡宮は載っていない。
そのかわり、この場所には川平住吉神社と載っている。
さてどちらが正しいのだろうか。
八幡宮と住吉神社では、祭神が当然違う。
八幡様は主に武家の信仰が多く、住吉は航海の神である。
土地柄を見れば、武士団よりも一般人の集落が多いと思うので、住吉神社の方が自然でもある。
なにか事情があるのだと思うが、現在の時点では不明。