白髭神社

キリシタンの墓の案内

白髭神社 一の鳥居

白髭神社

場所は式見と柿泊町の境にある手熊川のそばにある。正式な住所は柿泊町1028。
 
祭神は猿田彦命。
 
由緒に関して、1586年福田大和守忠兼が築いた手熊館という砦があったと伝えられており、1644年その後地に白鬚大明神を勧請して作られたとある。わが町の歴史散歩より
 
 
つまり柿泊は福田家の勢力下にあった地域だったのである。
 
調べてみると、この地には福田忠兼が築いた肥前 宮尾城があったと記されている。
 
白髭神社の背後の山が城山というので、そこに宮尾城があったのである。
 
手熊館というのは、その忠兼の居館だった。
 
祭神の猿田彦命だが、天孫降臨の際、邇邇杵尊を道案内したことで有名で、後年は航海安全、長寿、農耕の神として全国的に信仰されている。
 
福田地域には複数の神社があるので、その兼ね合いで猿田彦命が勧請されたのだろう。
 
川のそばに、一の鳥居がある。入り口には「キリシタンの墓」という案内杭があるが、探したけどわからず。
 
後で調べてみると、この場所に十字架を立てたらしい石棺があり、おそらく1565年に洗礼を受けた地頭の福田兼次と婦人の墓だろうと、郷土史研究家の方が立てた看板があるらしい。
 
急な参道の石段を登ると、こじんまりとした社殿に到着。
 

白髭神社

白髭神社 水盤

白髭神社

白髭神社

白髭神社

白髭神社

左手の石の水盤には、読み取りにくいが明治28の文字があった。おそらくこの時期に神社の改修をしたのだろう。
 
神殿の入り口には合格祈願の絵馬が吊るされている。たぶん近年には、福田の天満宮と同じ扱いをされていたと思える。
 
社殿は古いがみすぼらしなく、背後には神殿がちゃんとある。
 
拝殿内は太鼓もあり、形式は整えられている。
 
手熊くんちは現在でも行なわれていて、この地域の氏神として存在感があると思う。

地名考

柿泊は、果物の柿の木があったからとも、海の牡蠣がたくさん取れたとも言われ、詳細は不明。
 
手熊という地名は平安時代に手隈という記述があり、その前から存在していた。
 
手隈の隈は、隅っこの事で、山や川が曲がりこんだところ、奥まったところを意味する。
 
福田氏は平安時代末期の治承4年(1180年)、後白河法皇家臣の平兼盛(平包守)が九州の肥前国老手・手隈の定使職に任ぜられて長崎の福田にやってきた。
 
平兼盛(平包守)は隈(くま)平三ともいう。
 
平包貞には子が無く、家督は弟の平包信(兼信)が継いだ。平兼信は土着して、その地を福田と名付け、自身も隈(くま)姓から福田を名字としている。
 
福田は昔、老手村(福田村)といっている。福田に変えたのは、老いるという字が入っていたので、縁起の良い文字(福)に変更したと思われる。
 
最初の城主が、隈(くま)姓で、福田が老手村である。
 
老手村の隈(くま)平三氏が収めていた場所なので、手隈になったとも思える。
 
たぶん、そうだと思う。
 

白髭神社