樺島 行者山(神社)
場所は野母崎の樺島。樺島灯台公園の駐車場から山の方に少し登ると、建物だけが見えてくる。
どうも裏手に出るようで、建物の脇を回ると、神社の正面に出た。
鳥居もあるが、参道と思しき下の方を見ると、雑木で覆わ
れていて、参道らしきものはない。
今は正面へ続く道はないらしい。
鳥居の神額には行者山と書かれている。
この神社の祭神は神変大菩薩(役の行者)。鳥居は明治三十七年に作られたとある。
境内は荒れているが、石像の祠と、稲荷の祠がある。それ以外に石塔や自然石にしめ縄を巻いているものがある。
拝殿入り口の横には、流し場がある。珍しい。
拝殿を覗くと広い。右手には囲炉裏と布団が積まれている。
どうも寝泊まりできるようだ。
現代でも山を徘徊する行者さんがいるのだろうか。
それとも登山客のための施設なのか不明である。
役の行者
祭神が神変大菩薩(役の行者)という事は、修験道がこの山で根付いていたことになる。
修験道が神道かといえば、そうではない。
修験道とは山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰だ。
仏教に取り入れられた日本独特の宗教でもある。
それが神社形式になっているのは、明治の神仏分離のせいだろうか。
樺島には熊野神社がある。
熊野神社は古神道の本場、紀州熊野三山系統の神社だ。
紀州熊野三山は自然信仰なのだが、山や岩を信仰とする山岳宗教や修験道と結びついている。
なので樺島には行者たちが山に出入りしていたのかもしれないと思う。
また、野母崎という地名の由来に、紀州熊野から漁業の夫婦が流れ着いたからというものがある。
正式な記録はないが、野母崎と和歌山熊野は深く関係しているのかもしれないと思う。
樺島
樺島という名の由来だが、島内には各所に湧水が多く、船舶に水を補給するための井戸が随所に掘られ、水が豊かであることから「川場島(かわばしま)」から「樺島」と転訛したと言われている。
長崎市内に「コッコデショ」の樺島町がある。ここは天正8年(1580)現在の野母崎樺島町付近で天然痘が発生し、伝染を避けるために野母崎樺島町の人々が移り住み拓いた町といわれている。
樺島の歴史は多様だ。キリシタン、遊郭、カラスミの産地、オオウナギ生息地、長崎最古の観音寺。
そして行者だ。
樺島は面白い地域である。