十六善神社

住所は諫早市多良見町西園627-2。 市指定有形文化財。

喜々津港の西側の一山超えた入り江、大草地域といえばいいのだろうか。

入り江の集落の山手にあり、神社へたどり着くと、右手に鳥居が二つ並んでいる。

左手の鳥居には忠魂と書かれた神額がかかっていて、戦争で亡くなった方を祀っている。

十六善神社の境内は広く渡仙橋や相撲の土俵もある。

十六善神社

十六善神社

十六善神社

十六善神社 拝殿

十六善神社 神殿

祭神は大国御魂神、天香具山臣神、香久山臣神、庭高津日神、庭津日神、韓神、御歳神、曽冨聖神、白日神、聖神、奥津日子神、奥津日売神、大山咋神、阿須波神、波比岐神、羽山戸神、大土神の17神。

祭神をみれば神道の神様だが、十六善神とは、お釈迦様の大般若経を守護する護法神で仏教の神様である。

解説によると、

この神社はもと元釜名浮津にあり、浮津大明神といわれていました。
延宝3(1675)年に痘瘡(天然痘)が流行した時、お告げにより現在地に遷したところ、痘瘡の流行が止んだといわれています。そのため、十六善神社は痘瘡の神様としてひろく崇敬され、遠来の参詣者もありました。天保14(1843)年、藩主鍋島家の若君勇太郎が痘瘡にかかった時には、喜々津村の村役も十六善神社に参籠するようお達しがあっています。十六善神社は、旧大草村の村社として村民の信仰の中心でした。昭和40年頃まで神職が居住していました。

とある。

天然痘

天然痘は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つである。

その致死率は現在流行しているコロナウィルスの比ではなく、致死率が平均で約20%から50%と非常に高い。

このウイルスの起源は、記録に残っているものを見れば、紀元前1100年代のエジプトとされている。

日本では、渡来人が多くやってきていた6世紀半ばにやってきたといわれ、折しもその時期に、日本国内で仏教を促進していたので、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がったという。

ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。

ウィルス感染症は治療薬がなく、有効な対処法は人間の免疫力だけである。

天然痘で有名なのは、近代免疫学の父とも呼ばれるエドワード・ジェンナーで、彼が考案した安全性の高い種痘(牛痘接種)法は有名だ。

長崎関連では、1823年に出島にやってきたシーボルトが牛痘法の知識を伝えたものの、種痘苗が手に入らず知識の伝達にとどまったという。

日本において天然痘が根絶されたのは1955年(昭和30年)なので、いかに恐ろしい感染症だったことがわかる。

疱瘡神(ほうそうしん)

天然痘を擬神化した疱瘡神は悪神の一つとして恐れられ、日本各地には疱瘡神除けの神事や行事が今も数多く残っている。

また疱瘡神は犬や猿、赤色を苦手とするとという迷信もひろがり、現代では意味不明の事柄も多い。

さて、今回の十六善神社だが、解説にあったように天然痘対策である。

長崎市内はそうでもないのだが、時津、長与、喜々津には天然痘対策の神社が多い。

鳥居があるので神社だと思っていると、祀られているのは仏様の守護神だったりする。

日本の信仰は神仏習合だといわれるが、あらゆる神仏にすがるのは、未知の病気に対する、日本人民の切なる願いだったのである。

人間以外の卓越した存在をすべてひっくるめて祀る。

それは神でも仏でもそれ以外でも、何でもよかったと思える。

神殿脇の祠

第77番札所

忠魂

十六善神社