諌早 宗方神社 諫早古代史を塗り替える最重要神社

宗方神社
国道57号線を島原方面に行く際の小野駅がある地域にある。
石垣の上に立つ古い神社である。

宗方神社 立て札
入り口の立て札に「宗方神社は雲仙にある四面宮の分社。諫早市内では三番目に古い歴史を持つ」と書かれている。
本当にそうなのかと思い調べてみた。
ネットで調べても諫早の神社の事は、ほとんど詳しいHPがない。そこで「諫早史談」という本から調べる。
ここに載っていたのは、宗方神社は871年(宗方神社の立て札では901年)、諫早神社は728年、本明町の平松神社は708年、上大渡野町の年神社は710年だった。
結果、1.本明町の平松神社708年 2.上大渡野町の年神社710年、3.諫早神社728年 4.宗方神社871年
だった事を書いておく。
立て札が間違っているというより、歴史資料の読み方だろう。
私が思うに、公表されている事でも違う解釈があるという事だと思う。つまり県や市、教育委員会の発表を丸呑みする事だけは避けたいものだ。
祭神
祭神は、天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命だ。
天御中主命は別天津神にして造化三神の一柱とある。
つまり日本神話に最初に現れる神様で、いずれも独神として成って、そのまま身を隠したという。
特別何をしたという神様でもなく、表れて消えていったと書かれている。
大己貴命(大国主)、少彦名命はデコボココンビで、日本中を回り国づくりに貢献した神様だ。
諫早の神社の祭神は、大己貴命(大国主)、少彦名命がよく出てくる。これもまた理由があるのだと思う。

宗方神社 拝殿
肥前国宗形神社
宗方神社の立て札では創建が901年と書かれている。これは平安時代の三代実録という記録に「肥前国宗形神社」の事が書かれていたからである。
諫早の史家の方たちは、この「肥前国宗形神社」が、ここにある「宗方神社」の事だと比定したのである。
宗方神社と言えば、福岡県宗像市の宗像神社がある。福岡の宗像神社は日本神話に登場する日本最古の神社の一つだ。

福岡 宗方神社
諫早の宗方神社は福岡の宗像神社の末社となっている。
しかし福岡の宗像神社の祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮である。
なぜ違うのだろうか。謎である。
むなかたという名前も多説ある。
宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、もとは水潟(みなかた→むなかた)であったとする説もある。ウィキペディア
福岡の地名の「むなかた」だが、直方(のうがた)市、博多(はかた)区など、「かた」のつく地名がおおい。
博多の場合、由来は泊潟「船の泊(は)てる潟=泊潟」という説もある。
潟(かた)とは、遠浅の海岸で満潮の時は隠れ、潮が引くと現れる所。しおひがた。ひがた。2.外海と分離してできた湖や沼。のことを言う。
新潟県もこの意味からなるとされている。
現在の地形では潟とは思えないが、古代遠浅の海岸だったのかもしれない。
宗像と博多は海岸沿いなのでわかるのだが、直方は内陸だ。とすれば古代北九州は直方まで海が来ていた可能性もある。
ただの地名なのだが、この事は古代史では重要になる。
縄文時代、かなり水位が上がっていたとされ、有明海と博多湾が水路でつながっていたとする説がある。
もしそうならば、あの邪馬台国の場所にまで大きな影響を与えるからである。
この事を真剣に考えていたのが宮崎康平氏の『まぼろしの邪馬台国』だ。
そうなれば有明海に面している諫早も、古代重要な場所だった可能性が高いのだ。

映画 まぼろしの邪馬台国
小野宗方遺跡
諫早の宗方には古代の遺跡がある。
周知の遺跡としての小野条里遺跡があり、発掘が進められていた。

小野条里遺跡
その結果、当初の予測に反して,縄文時代の貝塚が確認され、貝層か らは縄文時代前期の土器をはじめとして,石器・動物骨等の多数の遺物が出土したほか,同時代の海岸が確認されるなど、当時の自然環境を彷彿とさせる資料も多く見られ、時代を下って,弥生時代の水田に関連すると思われる杭列も確認され,稲作農耕の存在も予想されている。
縄文、弥生と古代から宗方地域は発展していたことが証明された。
さらに平安時代の朝廷から驚くべき事象が起こっている。
『三代実録』貞観十三年(871)四月三日条によると、この日、肥前国の「宗形天神」に対し、朝廷は従五位下の位階を授けた。
さらに、同書貞観十五年(873)九月十六日条によると、この日、肥前国の「宗形神」が従五位上に位階が上げられている。
これらの記録を読めば、宗方地域は、中央からすごく注目されていたことがわかる。
従五位上は貴族に与えられる位である。
なぜ、諫早の宗方がこれほど平安時代注目されていたかは謎のままである。
四面宮
諌早の宗方神社は別名が「四面宮」だという。
四面宮の大本は雲仙で、この四面宮の意味合いは興味深いものだ。
四面宮の名前は、古事記の国生みに書かれている九州の事から生まれている。
詳しい解説は避けるが、古代雲仙と諫早地域が、巨大な勢力を持っていたともとれる事柄である。
とすれば、島原邪馬台国説もかなりリアルなのだ。
そして、古代史マニアの空想では片づけられない、史実や遺跡がたくさん存在している。
宗方神社は、そんなすごい場所なのである。
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