永昌町 八天神社 天狗と子安観音

八天神社

長崎県諫早市永昌町27

八天神社

八天神社

八天神社

諫早駅の東側、小高い丘の住宅地にある。

神社というより、祠の上に屋根がついているだけである。

入り口に石で作られた、神社の由来が書かれている。社殿は石造りの台の上にあり、昔は社(やしろ)があったのかもしれない。

中央の石の祠には、上に梵字が書かれ、その下に八天狗とある。左の祠は天満宮、右には無名の小さな祠が2つと、恵比寿さまが2体置かれている。

その周りを石の杭でぐるりと囲んであり、中央に賽銭箱とろうそく立てがある。

この八天神社は道向きに立ってない。高台で景色がよく見えるが、遠くには多良岳が見えている。

おそらく多良岳の方に向いて作られたのだと思う。

そういえば、多良見という町名は、多良岳が見えるからという説明があったのを思い出す。

多良岳一帯は全山が山岳信仰の対象であり修験道場として栄えた。この神の祭神は天狗なので、当然多良岳の方を向いているのだ。

八天神社

八天神社

祭神は火産霊神(ほむすびのかみ)

神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神でカグツチとも言う。火の神なので、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺されたとある。

おそろしい。

カグツチは死ぬのだが、飛び散った血や肉から雷神や水神が生まれたという。

天狗も火を自由に操ることが出来る力を持っている。そして天狗は持っている団扇で火勢を強めたり、消したりすることが出来ると信じられてきた。

だから火伏せの神として祀られている。

同じように天狗を祀る神社に、愛宕神社と秋葉神社があるが、ともに防火の神様として祀られている。創建は文化3(1806)年 。天狗信仰は古代から存在するので、この場所に社が出来たのが江戸時代の後期だったのだと思う。

永昌という場所は、長崎街道、諫早浜街道(多良街道)、島原街道と、三街道が合流するところ。佐賀本藩の代官所もあり、諫早の宿場である重要地であった。

八天神社 由緒

由緒書にも書かれている。

由緒
八天狗信仰の流布は不明であるが諫早領内には諸方に八天狗石碑の建立あり。これら修験者山伏によって火難消除の守り神として信仰を広めた。此処、永昌の地は小倉を起点とする長崎街道佐賀藩からの諫早浜街道島原藩からの三街道の合流する処。佐賀本藩の代官所もあり諫早の宿場であると共に、諫早抑えの拠点としての重要の地であったこの八天籠八天下八天平の小字の接点にある高台の松の大木繁茂し眼下に栄田本明川に沿う町並みを望見する。景勝清浄の地に火災鎮除農作工業開運安産の守護神として、八天狗を祭祀し士庶万民の信仰の祭場として今日に至る。町民相図り観音屋敷等整理し浄財をもって境内を整備する。平成十年十一月三日 八天神社宮司 藤本勝喜 撰

この宮司さんは御舘山稲荷神社の宮司さんである。

子安観音

八天神社 観音群

八天神社 観音群

八天神社 子安観音

八天狗の場所の奥には、西国三十三所観音が祀られている。

永昌名字田尻、昭和45年に、西地区都市計画で、この地に遷されたとある。

仏様や神様が祀られている場所は、色んな意味がある場合が多い。そう簡単に引っ越しさせてはいけないのだが、便利さが優先されるようだ。

困ったものだ。

この場所の石仏の数は40体以上。ずらりと並んだ石仏は迫力がある。

その向かいに祠が作られていて、ここに子安観音が安置されている。参拝客も多いと聞く。

子安観音は安産や幼児の成長を守護する観音様で、親とすれば手を合わせたくなる仏様である。

八天狗は諫早に多く、これは佐賀県の影響だ。長崎にも愛宕や秋葉はあるのだが、天狗の信仰は諫早ほど広まっていないだろう。

天領の長崎と、武家の佐賀藩。

その違いもあり、諫早は長崎とは一味違う信仰が根付いているのだ。

八天神社

 

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