西小島 楠稲荷神社
番地は西小島だが、丸山の上とか、大徳寺公園の左とか言ったほうが、長崎人にはわかりやすいだろう。
丸山の方から行けば、角度のある勅使坂を登り、途中の左側にやや貧弱な赤い鳥居がある。
20段くらいの石段を上りきり、突き当りの右手の短い石段先の鳥居をくぐると楠稲荷神社だ。
鳥居の神額には楠神社とある。
創建は1600年代後半らしい。最初は「琢正院」で、明治維新後、楠稲荷神社となった。それからは船大工町の鎮守となっている。
こじんまりした社殿で左右に道がある。左に行けば不動明王の祠があり、その右手には巨大なクスノキがのたうっているように立っている。
神社の右手を行けば、大徳寺公園の道になり、そこにもまた、巨大なクスノキが存在している。
つまり楠稲荷神社は、この巨大な楠を祀るためにある神社である。
大徳寺の大クスの案内板より
このクスは、長崎名所の一つ、大徳寺の境内にある。境内にはクスノキが多いが、このクスノキは「大徳寺の大クス」として古くから有名であった。そのためか境内には大楠神社があり、木の傍には楠稲荷神社がある。この木の根回りは23.35メートル、胸高幹囲(むねだかみきまわり)12.60メートルで、県下第一のクスの巨木である。主幹はすぐに3大支幹に分かれ、樹高は低く、大きく横に伸びて広がる。樹齢は推定800年前後であろう。
平成3年(1991)2月、火災に遭ったが樹勢に衰えはない。県指定天然記念物
この巨大すぎるクスノキを見れば、みんなが驚く。
樹齢は推定800年前後とあるので、逆算すれば鎌倉時代くらいだろうか。
まだ長崎の港は埋め立てられなくて、この神社のあった場所は原生林だったという。
このクスノキの名前は大徳寺の大クスとあるように、大徳寺の境内の隅にあったものだ。
当時の大徳寺の案内図を見ても楠稲荷という名前が書かれている。
「大徳寺」は真言宗の寺で、元は伊勢町にありましたが、宝永5年(1709)ごろ本籠町に移転しました。
唐船から多額の寄付が続けられましたが、長崎貿易が不振になってからは寄付がなくなり、寺の本堂や鐘楼なども次々と売却、明治初期に廃寺となります。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/uta/020122/
明治になると神仏分離令が出る。
色んな理由があるが、一つにはお寺が幕府とつながり、経済的にも宗教的にも堕落していったことが挙げられる。
大徳寺もそのいい例かもしれない。
この大きすぎる楠には色んな話がある。
昔、子供を産んで乳がでない母親が、洞穴のようになっているこのクスノキの幹の部分に、米のとぎ汁を一升かけお祈りすると乳が出るようになったといい、乳がでない母親の参拝が増えたらしい。
まあ、巨大な木や岩はそれだけで人を圧倒する力がある。なので色んな奇跡が起こっても、妙に納得してしまうものだ。
楠神社という名前は、長崎市内にもう一つあり、伊勢町の伊勢宮神社内の境内右に祀られている。
クスノキ
クスノキは暖地に生えて、巨木になる個体が多い。樟脳になる香木として知られ、飛鳥時代には仏像の材に使われた。
香り高く、寿命が長い「奇(くす)しい木」という意味で名付けられたという説や、南方語由来とする説などがある。
かつては天然樟脳を採取するため、日本各地にクスノキが植林されてきたが、合成樟脳ができるようになってからは、植林樹が放置されて野生化している。ウィキペディア
これほど大きくて、とてつもなく歪な巨木。
禍々しさを感じるほどだが、見上げると原始の森が想像できそうだ。
やっぱり、いい木なんだなと思った。