椎の木町 丸尾神社 荒れ果てて忘れられた信仰
長崎県長崎市椎の木町14-20
石橋の電停に流れる大浦川の中流。おおうらの登る道を上がっていくと椎の木町だ。
大きな道が通り、丸尾神社下というバス停をみつける。赤い大きな鳥居も立っている。
ただ、丸尾神社の場所がわからなかった。
グーグルマップを頼りに探したのだが、入り口がさっぱりわからなかった。
かなりウロウロしているうちに、やっと神社らしきものを発見し、道なき道を進む内にたどり着いた。
二の鳥居が雑草だらけの石段に建てられている。鳥居をくぐり左手には拝殿があった。
拝殿の前には放置された石の柱や蔦が絡まった石碑がある。
ソテツの木だけはしっかり成長しているよう。
コンクリートでできた赤い社で、中を除くとお祀りが途絶えている事がわかる。
祭神は不明だが、神社は背面の岩と直結している磐座なので、かなり昔からある神社だと思う。
赤い社なので稲荷神だったのかな。
ろうそく立てなどもおいているので、神仏習合の神と仏を祀っていたようだ。
立派な鳥居と丸尾神社下バス停は大きな道に残っているのに、肝心の社がこれでは、神社と言えないだろう。
この地域の開発に取り残されたのだろうか。
この神社を祀る人々がいなくなったのだろうか。
それ以外の事情があるのだろうか。
なんの情報もネットには出ていなかった。
神社というのは、かなり古くてもある程度の形は残っていて人の気配がしている場合が多いのだが、ここは人の気配がまるでなかった。なんだか残念である。
名前から察すれば、ここは丸い丘があった場所だったのだろう。稲佐にも丸尾という地名があるが、昔は小山だった。
まあ、社殿もコンクリートで情緒に欠けるので、住民の人の愛着が途切れたのかもしれないと感じる。
だけど・・・。なんだかとっても残念である。
長崎から、神様が一人消滅したのだから。
初めまして。一人で山の上の神社を探して歩くのが趣味です。このブログが見つけられてラッキーです。今は日見に住んでいますが、大浦で育ち、小ヶ倉や新戸町でも
暮らしました。これまでで素敵だと思ったのは竿浦の大山祇神社、蚊焼の金刀比羅宮、牧島の稲荷神社、中尾の天満宮などです。丸尾神社では、壊れた石製の鳥居が地面に埋もれているのを見て、複雑な心境になったことが思い出されます。今後もこちらのブログを参考にして神社巡りをしたいと思います。
コメントありがとうございます。ともに神社巡りをしていきましょう。
この神社は私の子供の頃の遊び場でまさに庭でした。
当時は子供がいっぱい居てそれこそ年上の近所のお兄ちゃんが年下の子も一緒に遊んで社殿の横に有った木に登ったり
虫を取ったり、社殿の左に有った崖みたいな土の坂を滑ったり、夏休みは毎日の様に今じゃ危ないと怒られる遊びを普通にやってました。
ろくに柵もないのに怪我も無く良く色々やってたなと思います。
数年前に数十年振りに私も久しぶりに行ってみると周りに有った木々も無くなってたりコンクリートになってたり、
すぐそばには長屋が有ったりしてた風景も変わり、何より道中も草茫々で鳥居も朽ちてたり神社もあまりに管理されて無いので愕然としました。
当時から社殿は赤でコンクリートでしたけど昔は綺麗に管理されてましたよ。いつから放置されたんでしょうかね。
まあ当時の人たちは年を取って亡くなったり私の所みたいに引っ越したり、新しい人が来たりして自然と関わる人が居なくなったんでしょうね。
今はそもそも子供も居ないし遊ぶ声も無いので寂しいです。
当時の人たちも数人は残ってるみたいですがあの頃の子供たちはみんな今頃どうしてるかなあ・・・
因みに私は今は57歳です。
コメントありがとうございます。神社は人とともにあるものだと思います。山の中で廃れていく神社もありますが、人の中にあって廃れていく神社もあるものですね。人はただ過ぎ去っていくたけですが神様は不滅です。いつか復活なさる時があるかもしれませんね。