諫早小ケ倉 熊野神社 愛宕、橘神社も混在
長崎にも小ヶ倉はあるが、今回の神社は諫早市の小ヶ倉である。
小ヶ倉ため池の近くにある。
この神社はグーグルマップに載って入るが、ネットにも神社の情報はない。
マップの言う通り小ヶ倉町公民館を目印に走るのだが、なかなか入り口にたどり着けなかった。
それほど山奥ではないのだが、一の鳥居が木々に隠れていて、見つけたときにはホッとした。
ただ一の鳥居の扁額には熊埜(野)神社と書かれている。埜の字が旧字体なのは珍しい。
あれ、橘神社じゃないのかな。ただ場所は間違いないようだ。
参道のような道を行く。石段もちゃんとしていて、神社に間違いない。
かなり進むと、途中にイノシシの罠らしきものがあった。石段を登りきると、開けた場所が現れ、社殿があった。
社殿は、普通のプレハブのような作り。向拝の部分があり神社だとわかる。細いしめ縄が取り敢えずかかっている。
拝殿の中を覗くと、それほど変じゃない。
天皇陛下即位30年、伊勢神宮式年遷宮の垂れ幕があり、拝殿はなにもないが荒れ果ててはいない。
拝殿の右側に木に書かれた由来書のようなものが掲げられているが、読むことができなかった。
社殿の右手に鳥居があり、扁額には愛宕神社とある。
更に右奥には石の祠が祀られていて、そこには楠神社と記されていた。
うーん。
楠神社なのに橘神社か?
橘というのを調べる。
橘氏(たちばなうじ)は、日本の氏族のひとつ。姓(カバネ)は宿禰、のち朝臣。
飛鳥時代末期に県犬養三千代(橘三千代)・葛城王(橘諸兄)を祖として興った皇別氏族。
楠木氏は本姓を橘氏と自称し、南北朝時代の弘和2年/永徳2年(1382年)に楠木正儀(楠木正成の三男)が南朝の参議に任じられ、公卿となっている。
おそらく楠神社の祭神は楠木正成かと推理する。
そして楠木正成を祀っているから橘神社といったのだろう。
境内には、神殿改築記念の大きな石碑が2つある。それで神殿の方を見ると、たしかに立派な神殿だ。
一の鳥居に載っている熊野神社で検索してみると、神社検索サイトに載っていた。グーグルマップにも橘神社だけではなく熊野神社、愛宕神社でも載っている。
神社サイトは熊野神社で載っていて祭神は伊邪那岐神とある。やはり、この神社のメインは熊野神社だろう。
この地域には熊野神社がやたら多い。マップを見ても4つあった。
熊野神社は和歌山県の熊野神社が総本山で、末社は日本中にある。古代の自然信仰で、主に平安貴族に大人気の神社である。
今は人の気配があまりないが、神殿は立派だし、火除の神様である愛宕神社も祀られている。
楠様は朝廷の味方として、根強い人気がある。
この神社はいつか復活するかも知れないな。
そう思いながら神社を後にした。