長浦町 三社大神社 巨木信仰から始まる
〒851-3212 長崎県長崎市長浦町840番
国道206号を佐世保方面に進み、形上湾に入りかけの手崎の道脇に入口がある。ざっくり言えば、時津とバイオパークの真ん中ぐらいにある。
入り口のコンクリートの坂道には、鳥居らしきものはない。
広い畑を道なりに進むと、広々とした場所に出て、一の鳥居が見える。
一の鳥居から二の鳥居までは直線で、社殿の場所は鎮守の森になっている。
二の鳥居の先の左右には、巨木が二本ある。
中でも社域入り口のヤマモモの木は、樹齢数百年を思わせ、洞穴の直径2m余。これを神の依代として、天文8(1539)年に三社大神を祀ったのに始まる。…郷村記
なるほどと納得する。巨木という名に値する大きさである。
境内には砂のような土で、その中を自然石が道代わりに置かれている。
社殿は古いがみすぼらしくない。
拝殿の中はきれいに整頓されていて、鴨居には絵や、書など色んなものが飾られている。
神殿の方に回り込むと、石垣があり、そこに木のプリントしたトタンで囲まれている。
おそらく石の祠が御神体だろう。
全体のイメージは、広いしキレイに整頓されていて、鎮守の森も豊かで、巨木が見どころとなっている神社である。
建立年代不詳とある。
年代が書かれているのは一の鳥居で明和元(1764)年建立とある。
天文8(1539)年に三社大神が出来たとあるので、徐々に拡大されていったのだろう。
「境内・末社山神、祭神大山祗命」と記録にあるので、本来の祭神は大山祗命だろう。
そこに三社大神を祀る社殿が出来たと推測できる。
拝殿に、祭神が書かれている。
天照皇大御神
天古屋根命(あめのこやねのみこと)
古事記には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となったとある。春日権現
品陀和氣命 (ほむだわけのみこと)
応神天皇 中世以降は軍神八幡神としても信奉
なかなかの祭神である。
だけど、本音を言えばこの神社には似合わない。
巨木信仰から始まったとされるなら、大山祗命が一番似合う。
この地は大村藩の領地で、色んな人達の思惑があり、三社大神として建立されたのだろう。
三社大神は広々とした農作地の中に悠然とある。
この地域の氏神の貫禄充分といえる。